秀子の車掌さん(成瀬巳喜男監督1941年作品)
ノッティングヒルの恋人(ロジャー・ミッシェル監督1999年作品)
https://youtu.be/LRxVkt9Eg9o (聞けます)
サウンド・オブ・ミュージック(ロバート・ワイズ監督作品)
天地明察 (滝田洋二郎監督2012年作品)
「授時暦を切れ!」
あらすじ
江戸幕府四代将軍家綱の頃。将軍家お抱え囲碁四家の一つ安井家二代目棋士安井算哲(岡田准一)は、天文・暦学・和算に秀でていて時の将軍後見役会津藩主保科正之(松本幸四郎)江戸屋敷に逗留し日時計や天体観測所を作り、夜空の観察にのめり込んていた。
また算哲は、和算にも関心があり金王八幡宮に奉納された「算額」の設問を解くことに熱心だった。将軍の上覧対局の朝も八幡宮で設問を解いていると境内を掃き清めていた女性と出会う。しかし、上覧対局のため慌てて江戸城に出府。城内では安井家と本因坊道策の対局が始まる。いつも勝ち負けの決まった棋譜どおり打つのが建前だったが、その日は真剣勝負を行うことにして先番の算哲は天元に打って周囲や将軍を驚かせた。ところが対戦中に日食が起ったためすべての儀式は中止になった。
その日、算哲は藩主保科正之に呼ばれ、幕府として「北極出地」(各地で北極星の高度から場所の緯度を測る作業)を行うので、一年間やってくれと頼まれる。その帰り八幡宮の設問が一瞥直解した関孝和(市川猿之助)という人物を知り、会いたくて村瀬和算塾を訪ね義益(佐藤隆太)に会う。そこで八幡宮であった女性が妹えん(宮崎あおい)だと知る。算哲とえんは互いに惹かれる。
北極出地隊は頭取を建部(笹野高史)・副頭取伊藤(岸辺一徳)とし、運搬の馬道具設備一式と総勢十数名。歩数による距離、現地での観測に出立。小田原・熱田・薩摩(頭取が体調を崩す)・銚子・大間と回ったが一年の予定は長引き、一年半の歳月が過ぎた。やっと終わり村瀬塾に寄ると妹のえんは、事情があって嫁いでしまったと義益は残念がる。そんな中、算哲は水戸光圀(中井貴一)から呼ばれ、さらに保科公から呼ばれ、現在の暦が古く誤差が生じているので正しい暦を作れと命じられる。
江戸の会津領には観測所が作られた。そこには過っての師山崎闇斎(白井晃)も加わる。現行の「宣明暦(唐)」「授時暦(元)」「大統暦(明)」の三種類があり、観測所では、冬至・夏至・秋分・日食・月食・日の出入り・月の観測など徹底的に実態と比較。その中で「授時暦」が合致しており、それを採用すべきと朝廷に具申したが公家衆が却下。そこで三暦勝負に出たが六戦目が不正解。
なぜ「授時暦」の日食が不正解だったか関孝和にも分からなかった。関は自分の算術の成果を算哲に渡し、観測で解明しろと促す。算哲はえんにプロポーズして10年かかってもやり通す決意をする。そんな中、算哲は光圀公から世界地図を借り地球儀を作る。そして地球儀を見て居るうちに北京と江戸の時間に気づく。「授時暦」は時間差で日食が当たらなかったものと発見する。
そこで算哲は「授時暦」とは違う独自の「暦」を作った。その暦を水戸光圀は「大和暦」と名付けて朝廷へ上奏した。しかし、公家衆が反発し逆に「大統暦」に改暦した。絶望した算哲は光圀に苦言を呈した結果、ラストチャンスとして「大統暦」と「大和暦」の日食の違いで勝負することになる。
京都の梅小路に日食観察舞台を設置。その日「大統暦」は日食なし、「大和暦」は日食ありの予想だった。当日の朝は雨。しかし止んで晴れたが曇になる。午の刻直前で算哲は切腹の覚悟をしたが、ついに日が照って、日食が起り昼なのに暗くなって、星も見えるくらいだった。「大和暦」の予想が的中したため朝廷は1684年「大和暦」を「貞亨暦」して新たに採用した。
感想など
鎖国の江戸前期だからコペルニクスの地動説も地球が丸いことも国民は誰も知らない。日の出や夜空の星が謎を秘めていて、季節が廻り来て、暑かったり、寒かったり。大風が吹き大雨が降る。そんな自然環境は人間がはかり知ることのできない不思議な現象であった。そんな神秘な世界に関心を持ち、天体の謎に挑み、観測しその結果から新しい暦を作った人がいた。それが一介の碁打ちで30石12人扶持の安井算哲であり、暦の作成により、名を「渋川春海」に改め幕府初代天文方になり、250石取りの幕臣になった。
江戸幕府の一介の囲碁打ちが、和算・天文の知識を買われ、改暦の責任者に将軍後見役藩主から命ぜられる。既存の暦と実態を徹底的に検証して、元の「授時暦」がよいと諮問する。しかし、暦に日食がなかったため却下。それに発奮して10年後、原因を突き止め新暦を作成。それが1684年採用ざれ「貞亨暦」と名づけられた。
当時、清和天皇(862年)のとき唐の時代の「宣明暦」が採用されていた。一太陽年を365.2446日としていたから実際は365.2425日だから800年以上経過しいれば二日の誤差が生じる。算哲の作った「貞亨暦」は、365.2417日としている。誤差が生じれば、実際の日食や月食の予測は全然当たらない。また、当時日食や月食は為政者の不徳によっておこるものと思われていたから暦に対しても迷信的な要素が強かったようだ。
江戸の碁打ちが将軍前で上覧対局するシーンがある。本因坊道策と安井算哲の対局だ。将軍から5mくらい離れていたので見ずらい。先手算哲は天元に打った。実際の棋譜は残っているので、滝田監督のご愛敬で場面を作ったのだろうが、次の道策の白は隣に付けた。中央で「五目並べ」もどきの接近戦である。棋譜では、次の一手が右隅目外しに打っている。その日、日食があってその対戦は中止になった。将軍は面白がっていたが、どうも儀式めいていた。信長は本能寺に宿泊の際、和尚と囲碁を打ったという。家康も囲碁好きで、本因坊に五子置いて打ったというから天下人は囲碁フアンだった。
道策と算哲の棋譜
追記・・安井算知役で、きたろうさんが出ていました。彼はNHKの囲碁番組で生徒で出ていたはずです。上覧対局で棋譜と違う打ち方をしていたのに異議を言わなかったのが不思議です。
岡田准一演じる「安井算哲」は、純真で素直で清々しさがある。おっちょこちょいの部分も楽しい。囲碁にも算術にも暦にもただひたすらにのめり込み夢中になって悔やまない。こんな人柄だから会津藩主や水戸光圀に可愛がられ、公家の土御門泰福や北極出地隊頭取にも愛されていた。また、村瀬義益兄妹にも好感をもたれ、妹を妻にすることができた。そんな人徳が改暦という大事業を成功に導いたのだろう。関孝和も改暦に関心を持ちライバルとして研究していたようだが、人脈の広い算哲に敵わなかったようだ。
宮崎あおいの演じる妻「えん」は笑顔の演技が中心。算哲の帰りを1年待ったが待てず他家に嫁いだ。しかし、直ぐ離縁されて兄の実家に戻る。また「三暦勝負」で3年待って、今度は添い遂げる。算哲は「俺より先に死ぬな」と頼む。えんも算哲の腹切りが係った時「私より先に死なないで」と算哲に頼む。そんな願いが叶ったのだろうか。算哲は63歳で亡くなったが、えんも同年同日亡くなったという。
脇役が凄い。松本幸四郎・中井貴一・市川猿之助・市川染五郎など。他にも岸部一徳・笹野高史・染谷將太などなど。史実を想像力で膨らませ面白く仕上げていて大いに楽しい作品である。
ギャラリー
タイトル 金王八幡宮での算哲とえんの出会い
家綱の上覧碁 えんは村瀬塾の妹だった
北極出地隊に加わる算哲 北極出地隊は全国を回る
観測所を設置 三つの暦の検証を開始
算哲は「授時暦」を推薦 三暦勝負の五戦までは順調
観測所が焼き討ちに会う 六戦は敗退 朝廷は「授時暦」を却下した
関孝和は「授時暦」を正せと資料を出す 算哲はえんと2人だけ祝言を上げる
水戸光圀から世界地図を借り地球儀を作る 再度の上奏に「大統暦」朝廷は採用
算哲の「大和暦」と「大統暦」の実地決戦 「大和暦」(貞亨暦) のとおり日食になった
蜩ノ記(小泉堯史監督2014年作品)
「我が藩の騒動は公儀にも知れた。お家のために其の命と名誉を
わしに預けてくれ」
(羽根藩六代藩主三浦兼道から戸田秋谷への下命)
あらすじ
豊後羽根藩の奥祐筆(書記)の壇野庄三郎(岡田准一)は、お役目中に風で筆の墨がご同役水上信吾(青木崇高)の家紋に飛んだため信吾と言い争いになり、庄三郎の小太刀が信吾を負傷させる事件が起こった。城中での喧嘩は両成敗の切腹だが、中根家老(串田和美)は信吾が甥であり、なかったこととして庄三郎を隠居させ僻村で家譜編纂をしている戸田秋谷(役所広司)一家の監視兼家譜清書の役目を命じた。
家譜編集をする秋谷は7年前に江戸詰めの頃、主君の側室と密通した廉で捕らえられ切腹を命じられた。しかし、秋谷は羽根藩の歴史にも通じていたので藩主三浦家の家譜編纂中でもあった。そのため家譜完成の10年後に切腹せよと延期されていた。もし、秋谷が他藩に逃亡の際は、極秘情報を知る一家を切れと庄三郎は言われる。
僻村の秋谷一家には、妻織江(原田美枝子)・娘薫(堀北真希)・長男郁太郎(吉田晴登)がいた。秋谷は家譜編纂と畑仕事や寺子屋で村のこどもに学問を教えていた。ある日庄三郎は寺の慶仙和尚(井川比佐志)から秋谷の事件の顛末を聴かされる。旧藩主の正室お美代の方(川上麻衣子)の子と側室お由の方(寺島しのぶ)の子の世継ぎ争いが下地にあったこと。お由の方と幼馴染であった秋谷は望んで罪を背負い、御家断絶を救ったというのだ。
一年後、中根家老から呼ばれた折り、庄三郎は松吟尼となったお由の方に会うことを願い出て面会した。松吟尼は「当夜、居室に刺客が入り、こども鶴千代をを殺した。そこへ秋谷が来て自害しようとしたお由に生きよと力づけた。秋谷には何の落ち度もない。大殿から許されたので秋谷殿も許されていると思っていた」と告げられた。後日、慶仙和尚に元に松吟尼が訪ねてきて、庄三郎に会いたいというので、薫と共に会い、大殿から松吟尼へ渡されたというお美代の方の由緒書を見せ秋谷に渡してほしいと言われる。
由緒書を見た秋谷は「お美代の方の父親は存在しない旗本の名だ。たた、福岡藩士に縁故者がいる」と首をかしげる。庄三郎は関係改善した信吾に福岡藩士の様子を調べてもらうと羽根藩の御用商人「播磨屋」の先代であることが判明する。由緒書は中根家老が、捏造したでたらめのものだったと分かる。
由緒書の存在を知った中根家老は、秋谷に対し渡すよう命令の使者を向かわせたが秋谷は断る。そんな中、「播磨屋」と組み農民に過酷な年貢取り立てようとした郡奉行が農民に川に投げこまれた。実行した農民の息子源太が目付に捕まり、拷問で殺された。源太の友達だった郁太郎は、上役の中根家老に仕返しするというので庄三郎も一緒に行き、家老を追及したので、二人とも牢屋に入れられる。
中根家老は、捏造した由緒書を返せば、二人を返し秋谷も無罪にしてやると信吾を使いに出した。それを聞いた秋谷は「中根家老と直談判する」と出かけた。由緒書は慶仙和尚の寺の記録として残し、秋谷は中根に渡した。「偽りのない事実を歴史として残しても御家は守られる。自分は大殿に歴史を鑑とせよとのお約束した。約束通り腹を切ります」と言うと「さて、自分は死人の同然なので」と源吉の仕返しだと中根家老に一発くらわした。そんな家老だが、意外と怒らなかった。「義を見てせざるは勇無きなりか。義とは良民のことか。耐えてもらったことを返す時期だ」と反省しきり。庄三郎と郁太郎は解放されたので秋谷は連れ帰った。
10年が経過し、羽根藩主三浦家の家譜は完成した。家譜にはお美代の方の由緒書のとおり記載されている。また、お家騒動の部分は不祥事として関係者が処分されたことが記載されていた。庄三郎は戸田薫と祝言を上げる。また、郁太郎は元服して戸田家は羽根藩家臣として復活する。
そしていよいよ秋谷は切腹を行うため家族に見送られ家を立ち去る。
感想など
時代劇を見ていると超法規的な処理や理不尽な場面が結構あるが別に驚かない。現代のような厳格な管理社会でのコンプライアンスを求めない時代と暗黙の裡に思うからだ。「喧嘩両成敗を見なかったことにする」「家譜作成のため10年間切腹を執行猶予する」など寛大さは当然のように了解しよう。
藩主に何人かの側室がいると、側室達はそれぞれ自分の子をお世継ぎにしたいと思う。そんな一方の側室が対抗馬に刺客を向け、若様を殺したとなるとお家騒動として、幕府から改易処分を受けてもやむを得ない話だ。そんなお家騒動を封印するため、若様は病死にし、側室は不義密通として、でっち上げたというもの。それは改易を逃れるための藩主の苦渋の選択であり側用人だった秋谷に犠牲を強いたものだった。
戸田秋谷は落ち度がないのに密通したという罪を背負って自己犠牲を甘んじる。藩のためには滅私奉公することが忠義であり、武士の美学だと信じている。忠孝は中国の儒教の思想を源流としている。寺子屋で秋谷は孔子の「論語」講義している。
壇野庄三郎は寛大に切腹を免除され、秋谷の元に行き人間性に無関心を持つ。不義密通は羽根藩改易のカモフラージュで、更に現藩主の母親お美代の方の由緒書が家老による捏造であることも露見させたので、秋谷を無罪にさせたかったが羽根藩の安どのため家譜には、それら事実として書けなかった。
お大名のお家騒動で改易やお取りつぶしは江戸時代でも300も頻繁に行われた。有名なのは忠臣蔵の赤穂藩。越後高田藩松平家などある。事情は、後継ぎ不在が多いが、乱暴狼藉、発狂・乱心、藩内騒動、刃傷、失政・喧嘩など理由はさまざまである。
この映画の羽根藩は、お世継ぎ争いを側用人だった戸田秋谷と側室が不祥事を起こした事件として幕府にカモフラージュし改易・お取りつぶしの難を逃れたというものが主軸の話で、更に家老の正室の由緒書の捏造や戸田家見張り役壇野庄三郎と戸田家との交流、娘薫との恋愛結婚、息子の成長と元服などが絡んで広く展開している。
江戸時代の忠孝に徹した武士の精神的生き方を描いているし、命令で右往左往する単純な家来達もいて、チャンバラや格闘シーンも何回か見られる。また権力者が歴史に残すため事実を捻じ曲げている場合もあるが、資料さえ残しておけば、後世の人は本当の事実を探りあてられるということも暗示している。現代人の生き方とはかけ離れた内容だが時代劇はこういうものだというエンターテイメントとして楽しめる作品。
ギャラリー
祐筆の庄三郎は信吾と喧嘩し隠居させられる タイトル (戸田秋谷の日記帳の題名)
秋谷の家譜編纂の清書と見張りを下命さる 庄三郎は戸田家に住み込む
家族は藺草でござを作る 松吟尼(お由の方)と庄三郎は面会
松吟尼からお美代の方の由緒書をもらう 郁太郎は源太の仕返しに家老に面会
庄三郎と郁太郎は牢屋に入れられる 秋谷が家老に会い由緒書を渡す
藩主兼道に秋谷は命と名誉を預けた 庄三郎と薫は祝言をあげた
郁太郎は元服して家督相続する 秋谷はよき妻と子供に恵まれたと感謝
切腹のため家族との別れ
ゲゲゲの女房(鈴木卓爾監督2010年作品)
「貧乏は平気です。命までは取られませんから・・」
(「ゲゲゲの女房」からの茂の言葉 )
あらすじ
鳥取県安来にある酒屋の娘飯塚布枝(吹石一恵)は、周囲の男性より背丈が高く縁遠いため29歳になった。そんな布枝に見合い話が来た。お相手は10歳年上の戦争で左腕を失い、現在は貸本漫画を描き生活は安定しているという。住まいは東京だが鳥取に来るというので会って5日後に米子で式を挙げた。
そして東京へ。東京には姉田所初枝(坂井真紀)がいたので一緒に夫武良茂(宮藤官九郎)の家に連れていかれた。木造二階建ての古い家。着くと茂はすぐに「仕事があります」別室へ行う。姉もすぐ帰った。台所にいると突然みつぼらしい男がポットに水を入れて行く。米櫃が空なので茂に聞くと「二階は貸しています」蓄音機を持って家を出てゆく。そのあと米屋の御用聞きが来て「つけを払って」と言いながら米を置き判をくれという。引き出しには質札ばかり。そんな茂は質屋から自転車を出して持ってきたのだ。
布枝は武良家が極貧であることを知る。軍人恩給は田舎の両親に渡しているという。今回の原稿料も値切られて5000円にされたと茂は憤慨する。二階の間借り人は家賃を払わない。布枝は茂から仕上げを手伝ってほしいと言われ、次の原稿に線や着色をする。「これを新宿の出版社を持って行けば30000円になる。値切られないように」と布枝は頼まれた。出版社の社長は「水木さんの本は売れず返本ばかり」と渋々15000円だした。帰ると茂は布枝に「よく半分も出した」とほめた。
姉の初枝が様子を見に来て、「うちへきて泊まれば」というので姉宅から電報を打った。電報を見た茂は布枝に愛想尽かしされたと思い翌日、布枝を出迎えに行く。その際に妊娠を打ち明けられる。子育ては大変だという茂に布枝はなんとかなると生む決心を告げた。そんな中、講談社の佐久間(柄本佑)という編集者が自宅を訪れた。「少年マガジン」読み切りを書いてほしい。ただ、宇宙時代のセンスを生かしてほしいという。それを聞いた茂は苦手の分野は書けないと断った。
いい話を断ったため布枝はがっかりする。折も折、税務署が来て申告が少なすぎるのではないかと調査に来た。茂は「貧乏は平気です。命まで取られませんから・・」と質札を取り出して署員に見せた。そして「お前らに俺らの生活が分かるか」と怒鳴りつけると署員はすごすごと立ち去った。
後日、講談社の佐久間が改めて訪問しに来た。編集方針が変わったので、「少年マガジン」の読み切り32ページ分に水木さんの好きなものを書いてくださいというのだ。茂と布枝は、ほっとした。貸本漫画の10倍の原稿料がもらえるのだ。茂や布枝の周りにうごめいていた妖怪たちもいっせいに踊りだしたようだ。
感想など
妖怪漫画の巨匠水木しげるの妻による不遇時代の回想録である。紙芝居作者から貸本漫画作者になるが、貸本漫画が月刊誌や週刊誌に押されて下火となる。また内容が暗く妖怪物は時流に乗れず、妖怪物にこだわる水木漫画は注文がこなかった。にもかかわらず、辛苦に耐え続けている水木を支え続けた妻の奮闘記でもある。
茂は39歳。布枝は29歳で見合い結婚した。当時としては婚期ぎりぎりであり、お互いが好きになったという恋愛関係ではない。だから当初の新婚生活は、極貧であり、ぎこちなく楽しさも希望に満たところがない。茂は生活は安定していると嘘を付き、布枝に対して愛情があるとも思えない態度だ。布枝の当惑と落胆は何のための結婚かと映画を観るものは感じる。ただ、段々と茂が布枝という伴侶を必要としていることが分かってくるし、布枝が茂を支えたいと思うことが分かってくる。
やはり、漫画家家族を描いているため随所に漫画的な場面をちりばめている。茂は義手を付けて結婚式に臨んだが、帰宅後は義手を仕舞っておけと放り出す。電気を止められて蝋燭の明りで作業する際に老婆の妖怪が見えたり、バナナを食べるシーンでは、バナナの妖怪がちらつく。出版社社長が見せる返本の山と借金取り立てのシーンではドタバタというより悲哀を感じさせる。よくわからないが、鳥取地方の妖怪伝説の妖怪たちなのか、ことあるごとに二人の周辺に出てきて、眺めたり、踊ったりしている。
武良茂(水木しげる)の人物像は、見た目風変わりであり、舌足らずの言葉遣いりせいか得体が知れないという感じである。戦争で生死の境をさまよい、幸いにして生き残ってしまった。戦友の死に対して後ろめたさを感じると同時に戦争への憎悪を持っている。戦友たちの亡霊や妖怪が、水木しげるの漫画の主題にならざるを得なかったのだろうか。
ただ、茂の妖怪漫画に人生を一途に賭けている様子は、生きがいであり、夢であり、妖怪漫画で成功することが、妻への愛情であり、感謝であり、人間愛であり戦争で死んだ同胞への追悼であり、平和への希求であることが伝わってくる。お金になることは分かっていても、自分が書けない宇宙時代の漫画を引き受けることに断固拒否する信念があるのが清々しい。私は漫画そのものは、さほど好きではないが、水木しげるという漫画家は好きになれそうである。
ギャラリー
布枝に縁談が來る 漫画家武良茂と結婚
武良家に来る 茂はさっさと仕事に精を出す
武良家は貧乏らしい 茂の漫画は妖怪だった
貸本屋は茂の漫画は暗く人気がないという 出版社では原稿料を値切られる
製作を手伝う布枝 (電気を止められる) 家にも妖怪がいそうな雰囲気
姉の家に泊まると迎えに来た夫 妊娠を告げられる
宇宙の漫画を注文されたが断る 布枝は絶望を感じる
妖怪に力づけられる布枝 無事出産
税務署に質札を見せる茂 講談社から再度注文が來る
妖怪たちも祝福しているようだ 原稿を届けに行く茂
はなちゃんのみそ汁(阿久根知昭監督2015年作品)
「丈夫で強い子になるにはちゃんと食べる。
食べることは作ること。いいかげんにはせん。」
(「はなちゃんのみそ汁」の千恵からはなへの言葉 )
あらすじ
1998年。安武信吾(滝藤賢一)は34歳で、西日本新聞社の地方支局に勤務している。その職場に音大大学院声楽科の松永千恵(広末涼子)23歳が訪ねてきて二人は出会った。一目ぼれした信吾は、猛然とアタックして交際に発展した。そんな中、千恵は左乳房にしこりを感じて、病院で精密検査したところガンと診断された。
病状から千恵は、左乳房の全摘出手術が必要とのことで、手術を行う。術後に担当医師は「悪性度が最も高く、抗がん剤で治療を続けるが、体への負担は大きく、卵巣機能はなくなるので子供は諦めてほしい」と両親や姉や信吾に説明した。そんな話を聞いた信吾だったが、父和則(平泉成)に対し、「結婚させてください。子供のことは気にしていません」と懇願した。和則はそれを聞き「お願いします」と答える。
信吾は過って子供がいらないと言う前妻と離婚していたので、こんどは子供ができない人と結婚するというので反対したが、熱意に折れた。千恵は第一段階の治療を終え退院したので教会で結婚式を挙げた。そして一年後、千恵は予想外に妊娠の兆候が表れた。喜ぶ信吾だが、妊娠するとホルモンが活発化してガンの再発リスクが上がると聞き諦めざるをえないと感じる。
産科受診で赤ちゃんは順調だと分かる。でも生めない悲しみが襲う。だが主治医は「産みたくても産めない人もいる。もし産んだら同病の人の希望になる」と助言した。そんな千恵に和則は「産め。死んでもいい。死ぬ気で産め」とけしかけた。悩んだ末、千恵は産む決心をして出産。名前を「はな」とする。
当初は母乳のためX線検査を保留していたが、9ヵ月後再検査の結果、再発と診断された。頭を抱えた信吾と千恵は、藁をもつかむ気持ちで、伊藤源十(古谷一行)の特殊治療を受ける。源十は「不規則な生活を改め、玄米と味噌汁中心の和食で、自然治癒力で元に戻せと」と指導する。指導には高いお金が必要で信吾は、友人や父親の援助を受ける。
また、担当医は加山医師から片桐医師(原田貴和子)に変わったが「血液検査からホルモン療法がいい」と勧められた。一年後、再検査の結果、ガンは消えていた。はなは順調に育ち、二人の生活も順調だったが、千恵の父が孫を見に来た翌日入院して亡くなった。
2007年。母親がガンではなは保育園に通っていたが、ガンが消えたら保育園の資格がないとのことで再検査したところガンが全身に転移していると判明。そうなると抗がん剤治療を再開しなければならない。そんな千恵は「ガンとムスメのいのちのレシピ」というタイトルでブログを始めた。はな(赤松えみな)が4歳の誕生日を迎えた。千恵は、手作り味噌と鰹節を削り、お豆腐を切り、お味噌汁の作り方を教え込み「これからはお味噌汁の係よ」と約束する。そして福岡医療センターに入院し、抗がん剤で治療をはじめた。
抗がん剤治療の様子見で千恵は帰宅。信吾の姉松永志保(一青窈)が手伝いに来た。千恵ははなにお味噌汁を作るよう指示する。だがはなは志保に絵本を読んでもらおうと拒否する。志保ははなが道具ではないと肩をもつと千恵は「口を出すな」と言い争う。千恵ははなに向かって「丈夫で強い子になるにはちゃんと食べる。食べることは作ること。いい加減にせん」と説得。はなは味噌汁を作ることを納得。
福岡市文化会館で「こころを結ぶふれあいコンサート」が開催された。声楽の師匠の母娘が出るため千恵も一緒に出場することとなった。楽屋で衣装に着替えている千恵は、病気で声が出るか自信がなく緊張していた。そこへはなが大きな魔法瓶を持って入ってきた。「ママ、お姫様みたい」とはなは言い、魔法瓶のフタにお味噌汁をなみなみ注いだ。千恵はそれを飲むと元気が出た。
いよいよ千恵が促されて舞台に立つ、会場には信吾の両親や医療センターの担当医の先生、信吾の友人たちも来ていて拍手が沸いた。千恵が「今日は娘の誕生日です。私は病気で娘と一緒には走ることはできません。でも彼女には、洗濯料理など私がいなくとも一人で生きてゆくことは、しっかり身につけさせました。今日はママに味噌汁をごちそうしてくれた。私は娘が、動きしゃべるのを見ると幸せだなー。今日のステージに立つことをはな!。覚えていてね」。そして3人が歌いだすと、後ろの幕が開かれ、大勢のバックコーラスが歌い始めた。それは友達の演出だった。
ふれあいコンサートが済んで、数日後千恵は全身に転移したガンのため亡くなった。千恵の残したレシピ帳の表紙に小さく「私はツイていた!」と書かれていた。
感想など
バツイチの34歳が、ガンになった23歳の女性と結婚する。抗がん剤で子供はできないと言われたが出来た。妊娠するとホルモンが活発化するので、ガンが再発し易いので、産むか産まないかで苦悩する。結果は産む。いつ死ぬか分からない母親は、自分が居なくなった後のことを考えて、娘が一人で生きて行けるような育て方に徹するが、全身転移で亡くなるというもの。
育て方は「食べることは、生きること」をモットーに幼い娘に料理(特にお味噌汁)や洗濯など基本をしっかりと身に着けることだった。ガンが全身に転移して、先が知れた時、晴れ舞台のふれあいコンサートで歌う直前、娘の作ったお味噌汁で、自信と元気を取り戻し、生きてきた幸せを噛みしめる。娘は観客のひとりとして、母親の晴れの姿を、一生の思い出として目に焼き付ける。
ガンで先が分からない女性と強い意志で結婚する。勿論、人助けでできることではない。それを受け入れる女性も単純な気持ちではない。そこには生きることへの希望と本当の幸せを求める確固たる意志と強い実行力が不可欠だ。さらに妊娠によって、ホルモンでガンが活発化するという過酷な事態が生じるという。産めば寿命が縮まる可能性もある。うーん!実に・・実に過酷な現実だ。「産むべきか。産まざるべきか」そこには苦渋の選択が迫られる。担当医の「同じ病気の人の希望になる」という助言。父親の「死ぬ気で産め」という愛の鞭。
そして出産。一時的にガン症状が消えるが、体調は思わしくない。女性は死と隣り合わせの人生だ。生まれた娘に対しては、自分の死後を予想して、娘が自立して生きられるように愛情をこめて厳しく育てる。それが、料理であり洗濯などの日常生活の基本行為である。特に味噌汁は、味噌の製造から、鰹節を削っての出汁づくり、野菜は捨てるものなく、端切れ葉っぱ、茎など余すことなく使い切るやり方を教える。多分、味噌汁は健康生活の象徴としての役割なのだろう。
結局、彼女のガンは全身に転移していて、34歳の若さで天国に召されることとなる。死を目の前にした彼女のために夫や友人そのたの周囲は、彼女をふれあいコンサートの晴れ舞台に立たせる。それは娘に対し、生涯忘れられない思い出を作ってあげたい親心でもあった。娘は「ママ、お姫様みたいだ」と言って、楽屋に自分が作ったお味噌汁を持参して母親を元気づけた。舞台で歌う女性。バックにコーラスがサプライズで参加した。娘や夫の観客の拍手が沸くと映画は一転して、葬儀の場面に急転換する。私も不覚ながら、驚きと感動でぽろぽろと涙があふれてきた。
音楽特に声楽家を志し生きていた女性が、突然死と隣り合わせの運命に苛まれる。そんな女性が、真面目で少しおっちょこちょいの男性に乞われて結婚。病気の中で、娘を授かり娘は自立できるよう育てる。もしその男性に巡り合わなかったら結婚も出産も子育てもできなかった。33歳の生涯だったが「わたしはツイていた」とレシピ帳の表紙に書き残している。彼女は短い一生ではあったが精いっぱいの生き方だったと思う。自分も先の見えた人生だが、健康に留意して精いっぱい残る人生を送りたいと思った。子や孫に残してやれるものはなにもないが、迷惑をかけずに生きることがプレゼントだろう。
ギャラリー
タイトル 信吾と千恵の出会い
千恵にガンが発症 信吾は結婚したいと父に申し出る
信吾の両親は不安がる 千恵は抗がん剤治療をする
結婚式 妊娠をする千恵
出産 はなと名付けた
ガンが消えた お誕生日
千恵ははなに味噌汁作りを教えた 洗濯を教えた
ガンが転移したので再入院 はながお味噌汁を得意に作る
美味しいと褒められる 野菜は捨てることなく全部活用
ガンは全身に転移していた 千恵は、ふれあいコンサートに出ることとなる
はなは味噌汁で知恵を力づける 友人や周囲の人達も一緒に歌った
千恵の葬儀 信吾とはなの暮らし
主題歌(一青窈さんは義姉役で熱演した)