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天地明察 (滝田洋二郎監督2012年作品)

                                         「授時暦を切れ!」

              (「天地明察」から関孝和の激励)

あらすじ

江戸幕府四代将軍家綱の頃。将軍家お抱え囲碁四家の一つ安井家二代目棋士安井算哲(岡田准一)は、天文・暦学・和算に秀でていて時の将軍後見役会津藩保科正之(松本幸四郎)江戸屋敷に逗留し日時計や天体観測所を作り、夜空の観察にのめり込んていた。

 

また算哲は、和算にも関心があり金王八幡宮に奉納された「算額」の設問を解くことに熱心だった。将軍の上覧対局の朝も八幡宮で設問を解いていると境内を掃き清めていた女性と出会う。しかし、上覧対局のため慌てて江戸城に出府。城内では安井家と本因坊道策の対局が始まる。いつも勝ち負けの決まった棋譜どおり打つのが建前だったが、その日は真剣勝負を行うことにして先番の算哲は天元に打って周囲や将軍を驚かせたところが対戦中に日食が起ったためすべての儀式は中止になった。

 

その日、算哲は藩主保科正之に呼ばれ、幕府として「北極出地」(各地で北極星の高度から場所の緯度を測る作業)を行うので、一年間やってくれと頼まれる。その帰り八幡宮の設問が一瞥直解した関孝和(市川猿之助)という人物を知り、会いたくて村瀬和算塾を訪ね義益(佐藤隆太)に会う。そこで八幡宮であった女性が妹えん(宮崎あおい)だと知る算哲とえんは互いに惹かれる。

 

北極出地隊は頭取を建部(笹野高史)・副頭取伊藤(岸辺一徳)とし、運搬の馬道具設備一式と総勢十数名。歩数による距離、現地での観測に出立。小田原・熱田・薩摩(頭取が体調を崩す)・銚子・大間と回ったが一年の予定は長引き、一年半の歳月が過ぎた。やっと終わり村瀬塾に寄ると妹のえんは、事情があって嫁いでしまったと義益は残念がる。そんな中、算哲は水戸光圀(中井貴一)から呼ばれさらに保科公から呼ばれ、現在の暦が古く誤差が生じているので正しい暦を作れと命じられる。

 

江戸の会津領には観測所が作られた。そこには過っての師山崎闇斎(白井晃)も加わる。現行の「宣明暦(唐)」「授時暦(元)」「大統暦(明)」の三種類があり、観測所では、冬至夏至秋分・日食・月食・日の出入り・月の観測など徹底的に実態と比較。その中で「授時暦」が合致しており、それを採用すべきと朝廷に具申したが公家衆が却下。そこで三暦勝負に出たが六戦目が不正解。

 

なぜ「授時暦」の日食が不正解だったか関孝和にも分からなかった。関は自分の算術の成果を算哲に渡し、観測で解明しろと促す。算哲はえんにプロポーズして10年かかってもやり通す決意をする。そんな中、算哲は光圀公から世界地図を借り地球儀を作る。そして地球儀を見て居るうちに北京と江戸の時間に気づく。「授時暦」は時間差で日食が当たらなかったものと発見する。

 

そこで算哲は「授時暦」とは違う独自の「暦」を作った。その暦を水戸光圀は「大和暦」と名付けて朝廷へ上奏した。しかし、公家衆が反発し逆に「大統暦」に改暦した。絶望した算哲は光圀に苦言を呈した結果、ラストチャンスとして「大統暦」と「大和暦」の日食の違いで勝負することになる。

 

京都の梅小路に日食観察舞台を設置。その日「大統暦」は日食なし、「大和暦」は日食ありの予想だった。当日の朝は雨。しかし止んで晴れたが曇になる。午の刻直前で算哲は切腹の覚悟をしたが、ついに日が照って、日食が起り昼なのに暗くなって、星も見えるくらいだった。「大和暦」の予想が的中したため朝廷は1684年「大和暦」を「貞亨暦」して新たに採用した。

 

感想など

鎖国江戸前期だからコペルニクスの地動説も地球が丸いことも国民は誰も知らない。日の出や夜空の星が謎を秘めていて、季節が廻り来て、暑かったり、寒かったり。大風が吹き大雨が降る。そんな自然環境は人間がはかり知ることのできない不思議な現象であった。そんな神秘な世界に関心を持ち、天体の謎に挑み、観測しその結果から新しい暦を作った人がいた。それが一介の碁打ちで30石12人扶持の安井算哲であり、暦の作成により、名を「渋川春海」に改め幕府初代天文方になり、250石取りの幕臣になった。

 

江戸幕府の一介の囲碁打ちが、和算・天文の知識を買われ、改暦の責任者に将軍後見役藩主から命ぜられる。既存の暦と実態を徹底的に検証して、元の「授時暦」がよいと諮問する。しかし、暦に日食がなかったため却下。それに発奮して10年後、原因を突き止め新暦を作成。それが1684年採用ざれ「貞亨暦」と名づけられた。

 

当時、清和天皇(862年)のとき唐の時代の「宣明暦」が採用されていた。一太陽年を365.2446日としていたから実際は365.2425日だから800年以上経過しいれば二日の誤差が生じる。算哲の作った「貞亨暦」は、365.2417日としている。誤差が生じれば、実際の日食や月食の予測は全然当たらない。また、当時日食や月食は為政者の不徳によっておこるものと思われていたから暦に対しても迷信的な要素が強かったようだ。

 

江戸の碁打ちが将軍前で上覧対局するシーンがある。本因坊道策と安井算哲の対局だ。将軍から5mくらい離れていたので見ずらい。先手算哲は天元に打った。実際の棋譜は残っているので、滝田監督のご愛敬で場面を作ったのだろうが、次の道策の白は隣に付けた。中央で「五目並べ」もどきの接近戦である棋譜では、次の一手が右隅目外しに打っている。その日、日食があってその対戦は中止になった。将軍は面白がっていたが、どうも儀式めいていた。信長は本能寺に宿泊の際、和尚と囲碁を打ったという。家康も囲碁好きで、本因坊に五子置いて打ったというから天下人は囲碁フアンだった。

       道策と算哲の棋譜

追記・・安井算知役で、きたろうさんが出ていました。彼はNHK囲碁番組で生徒で出ていたはずです。上覧対局で棋譜と違う打ち方をしていたのに異議を言わなかったのが不思議です。ガーン

 

岡田准一演じる「安井算哲」は、純真で素直で清々しさがある。おっちょこちょいの部分も楽しい。囲碁にも算術にも暦にもただひたすらにのめり込み夢中になって悔やまない。こんな人柄だから会津藩主や水戸光圀に可愛がられ、公家の土御門泰福や北極出地隊頭取にも愛されていた。また、村瀬義益兄妹にも好感をもたれ、妹を妻にすることができた。そんな人徳が改暦という大事業を成功に導いたのだろう関孝和も改暦に関心を持ちライバルとして研究していたようだが、人脈の広い算哲に敵わなかったようだ。

 

宮崎あおいの演じる妻「えん」は笑顔の演技が中心。算哲の帰りを1年待ったが待てず他家に嫁いだ。しかし、直ぐ離縁されて兄の実家に戻る。また「三暦勝負」で3年待って、今度は添い遂げる。算哲は「俺より先に死ぬな」と頼む。えんも算哲の腹切りが係った時「私より先に死なないで」と算哲に頼む。そんな願いが叶ったのだろうか。算哲は63歳で亡くなったが、えんも同年同日亡くなったという。

 

脇役が凄い。松本幸四郎中井貴一市川猿之助市川染五郎など。他にも岸部一徳笹野高史・染谷將太などなど。史実を想像力で膨らませ面白く仕上げていて大いに楽しい作品である。ドキドキ

 

ギャラリー

 

タイトル                 金王八幡宮での算哲とえんの出会い

 

家綱の上覧碁                えんは村瀬塾の妹だった

 

北極出地隊に加わる算哲         北極出地隊は全国を回る

 

関孝和への設問を作った算哲        保科正之から暦を正せと下命

 

観測所を設置                三つの暦の検証を開始

 

算哲は「授時暦」を推薦            三暦勝負の五戦までは順調

 

観測所が焼き討ちに会う       六戦は敗退 朝廷は「授時暦」を却下した

 

関孝和は「授時暦」を正せと資料を出す   算哲はえんと2人だけ祝言を上げる

 

水戸光圀から世界地図を借り地球儀を作る  再度の上奏に「大統暦」朝廷は採用

 

算哲の「大和暦」と「大統暦」の実地決戦 「大和暦」(貞亨暦) のとおり日食になった