晩春(小津安二郎監督1949年作品)
あれは一世一代の嘘だったんだ。
(「晩春」から曽宮周吉の言葉)
あらすじ
ある日、紀子は銀座で父の友人で京都に住む、小野寺(三島雅夫)とぱったり出会う。小野寺はやもめだったが最近再婚した。そんな小野寺に紀子は冗談めかしに「不潔よ」と言ってしまう。
紀子の親友北川アヤ(月丘夢路)は、恋愛結婚したが離婚して実家へ戻っていた。アヤも紀子に「一度くらい結婚しなさい。だめだったら別れればいい」と結婚を勧めている。
そのうち、叔母は紀子に縁談を持ってくる。紀子は「私がいなくなると父が困る」と言って断るが、お父さんは三輪(三宅邦子)と再婚させればといって紀子にも面識のある婦人の名前を出す。
その夜、周吉は紀子に対して、叔母から来た縁談の見合いを勧める。紀子は「まだいい」と断ったが、周吉は「例えばの話だが、お前にはもう心配はかけないとすれば」と含みのある言い方で説得する。紀子は「奥様を貰うのね」と念を押すと「周吉は「うん」と嘘をつき頷いた。それがあって、紀子は縁談の見合いを承諾して嫁に行く決心をする。
後日、紀子と周吉は、友人小野寺の住む京都に旅行する。旅行先の旅館で紀子は周吉に以前小野寺に「不潔よ」と言ったことを反省してると告げる。
自宅に戻った紀子は周吉に「私はこのままお父さんといたいの。お父さんと一緒にいるだけでいいの。お嫁に行ってもこれ以上のことはない」と言うが、周吉は「お前はこれからだ。これから新しい人生が始まる」と言って諭す。
紀子の結婚式も滞りなく済み周吉はひとりになった。紀子の親友アヤから再婚はと聞かれ「ああでも言わないと紀子は結婚せんからね。あれは一世一代の嘘だったんだ」と答える。
寂しい我が家でひとり周吉はりんごの皮を剥き映画は終わる。
感想など
1 昨今、親子の断絶・虐待など話題になっていますが、この映画は普遍的な、親子 の絆や愛情、特に娘が父離れする際の葛藤、思いやりを描いています。
単なるメロドラマでないのは、人生を冷徹に見つめているからではないでしょうか。
2 ある意味で残酷さもあります。父親が再婚を仄めかして、娘へ嘘を言うところが 有ります。嘘で娘を突き放す。娘は嘘と分っていたかどうかは分りませんが、いず れ嘘とは分るはずです。なにか後味の悪いものが残りますが、それも人生の苦渋 なのでしょうね。
3 また、周吉の老後、紀子の結婚のその後については、なにも暗示していません。
観客は想像するだけですから問題を残したまま結末のないドラマなのです。
4 周吉と小野寺の会話に周吉の本音が聞こえました。
「もつんならやっぱり男の子だね。女の子はつまらんよ。せっかく育てると嫁にやるんだから。ゆかなき ゃゆかないで心配だし、いざ行くとなるとやっぱり、なんだかのらないよ」
それに対して小野寺は「われわれだって育ったのをもらったんだから」
「そうだ。ははは・・・」
しかし、周吉は紀子へは「お前はこれからだ。新しい人生が始まる。結婚すること が幸せではない。新しい夫婦が新しいひとつの人生をつくりあげてゆくことに幸せ があるんだよ」とお説教します。
人間は本音だけでは生きてゆけませんよね。
5 父と娘が旅行先の旅館で床を並べて就寝します。紀子は父親へ話しかけます。
しかし、父親はいびきをかいて寝入ってしまいました。
そこに花瓶を映し出します。
薄くらい部屋にある花瓶は、妙になまめかしく静かでした。花瓶は冷徹に客観的に 父と娘を見つめている感じで印象に残りました。
小野寺の再婚に「不潔よ」冗談っぽく言う 父の助手の服部には婚約者がいると一笑する
能楽堂で父が三輪に会釈したので悩む紀子 嘘の再婚を仄めかす周吉の表情
京都旅行で同室する父と娘 父と娘を見守る部屋の花瓶
紀子の結婚式 ひとし寂しくりんごを剥く周吉(ラスト)