男はつらいよ お帰り寅さん(山田洋次監督2018年作品)
感想など
「KY」つまり「空気が読めない」という隠語めいた言葉がある。たしかに寅さんの物語は、周囲の雰囲気が読めない厄介者の人生ドラマであり、ホームコメディであり、成就しない恋愛ドラマもあった。厄介者、いわば適応困難者なのだ。人が世間に適応するためには、我慢が必要だ。寅さんの話は天真爛漫も度が過ぎると迷惑になることを象徴していたようなものだ。
そんな寅さんは実に多くの人たちから愛されてきた。(逆にくだらないと思ってた人もいた) 風来坊でその日暮らしのノー天気な性分。天真爛漫で自己中心なところが世間に迷惑をかけ笑わせる。昭和のバブル期だったからこそ生きられたし、当時の人々がそう在りたくてもありえない生きざまであり、多くの人たちの真似のできない一生だったのだろう。
「男はつらいよシリーズ」は1969年(昭和44年)から1995年(平成7年)にかけて公開れた48作であるが、49作目の準備中に渥美清氏の死去で終了した。1997年(平成9年)再編集の特別編1本が加わり49作となつた。この作品は2018年(平成30年)に映画誕生50周年と50作目として作られたものだ。
この作品では、寅さんの妹のさくらの子供で諏訪満男というのが主人公になっている。さくらが結婚したのが第一作だから満男は40歳代であろう。サラリーマンを辞めて小説家になり売れっ子だという。寅さんの甥っ子だからやはり、血筋は争えないのだろうか。博もさくらも50年後だからかなり年をとった。多分70歳代後半だろう。思えば倍賞千恵子さんは私と同世代でファンでもあった。
話の中心は、満男の初恋の人及川泉との再会の出来事である。満男は高校生時代泉と仲良しだった。だが泉は成績優秀でヨーロッパに留学してしまったのだ。泉を追えず引き止められなかった後悔と情けなさが今もって忘れられない。満男は瞳と結婚した。泉も現地で結婚して世帯を持った。そんな初恋の女性と50年ぶりの再会である。
泉さんはポーランドで夫と二人の子供と暮らしている。日本にいる両親は小さいころに離婚していた。父親は別の女と暮らし、母親は水商売の女性だ。父親は余命いくばくもなく現在は施設暮らし。両親は反目しあっている。そんな泉に日本での居場所はない。満男や両親を残して泉はポーランドに帰ってしまう結末だ。やはり、何回か諧謔的な笑いが挿入されているが決してハッピーな内容ではない。寅さんを偲び懐かしむ内容だった。
このシリーズは48作も続いて多くの人々に愛され続け賞賛されてきたのである。周囲に無頓着で横柄な割に細かい部分に素朴なやさしさに満ち溢れていた。この作品は、死んでしまった厄介者の甥っ子が昔を思い出して、寅さんの人間的な一面を懐かしく思い出している。今、その主人公の満男が生きていく時、寅さんの存在がとてつもなく大きな存在だったことをこの作品で物語っている。
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あらすじ
車寅次郎(渥美清)が亡くなって50年後の話である。寅次郎の妹諏訪さくら(倍賞千恵子)の子供で諏訪満男(吉岡秀隆)は、サラリーマンを辞めて小説家として暮らしている。妻の瞳は7年前に亡くなり、娘で高校生のユリ(桜田ひより)と二人暮らし。そんな満男は、高校生のころ出会った初恋の女性及川泉(後藤久美子)の夢を見る。
そんな瞳の法事が柴又のカフェ「くるまや」で行われた。父親博(前田吟)や義父(小林稔侍)など来ていて、御前様を呼び法事を行った。義父は「遠慮なく再婚してください」と満男に言い残して去った。満男は、昔の父と母の結婚に際して、寅次郎の関りと感動的な求婚話や運動会に寅次郎が押しかけるのに迷惑した話をなつかしく思い出した。
出版社では、諏訪満男の本が売れたのでサイン会を八重洲のブックセンターで開催することを企画した。担当の高野節子(池脇千鶴)が手伝った。外国へ行っていた及川泉(イズミ・ブルーナ)は、国連難民高等弁務官事務所に勤務していたが日本に戻ってきていた。たまたまサイン会を知り、泉と満男は再会した。
二人は神保町のりりー(浅丘ルリ子)が経営するJAZZ喫茶に行き懐かしがる。そこで寅さんを思い出し、リリーが寅さんとなぜ一緒にならなかったかを聞く。さくらから間接的にプロボースされたが、「冗談だろ」と一蹴した話を思い出す。寅さんは大事な場面になると逃げ出すダメな人だつたと語るリリー。
満男は泉を柴又に連れていくことにした。柴又では博もさくらも懐かしがり歓待した。泉は明日、三浦半島の施設にいる父親に会いに行くという。満男は「事情は知らないけど、当分会えないのだから後悔しないように」と車で送ることにした。家に戻ると出版社の高野が来ていた。書き下ろし小説の創作依頼だが、待ってもらうことにした泉と満男の関係を寅さんから「意気地なし」と言われたことを思い出す。
翌日、満男の運転で泉と共に施設へ行く。車中で泉は、泉の母礼子(夏木マリ)は水商売で父親一男(橋爪功)は女を作って離婚しこと。泉は父の戸籍に残ったが一緒に暮らせずヨーロッパへ留学したが帰る場所がなかったことなど話す。施設には礼子も来ていて一緒に一男に面会したが、礼子と一男は罵りあうだけ。面会しただけで帰ることとなる。
その晩は満男とユリは両親のいる実家にとまった。次の日満男は泉を成田空港まで送った。別れ際、満男は自分の妻が6年前に亡くなっていることを告げた。泉は「なぜ言わなかったの。そんなあなただから好きなのよ」と慰めた。そして別れる。
自宅に戻るとユリが「パパおかえり。この三日間パパは遠い所へ言っていたような感じだった」と話す。ふと寅次郎のことが思い出される。「困ったときは俺を呼べ。俺は飛んでゆくからな」と言ってくれている
鎌倉殿と千葉常胤
今年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿と13人」は久しぶりに楽しんでいる。
源頼朝はわが村房総と関わり合いが結構あるからだ。前々回あたりから上総介広常や千葉常胤等の豪族が登場してきた。
千葉常胤 上総介広常
頼朝が安房に逃れて、真っ先に平氏討伐に賛同したのが、千葉常胤だった。頼朝の父義朝がかって関東で勢力を持ったころからの恩義を感じていたからだった。そこへ上総介広常が同調した。
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千葉城天守閣の中に千葉市立郷土博物館がある。今「鎌倉殿・南関東編」というパネル展が開催されているとのことで、訪問した。
前々回だったろうか。頼朝は近隣農家の人妻に間男して、長狭氏の夜討ちを危うく逃れた場面には大笑いした。
相手は「亀の前」である。「亀の前」実在したようで、政子が頼家を身籠ったときも浮気していてバレて政子は嫉妬が爆発したとのことである。頼朝と上総介の対面場面は「吾妻鑑」に出てきたとおりの場面だという。
放浪記(成瀬巳喜男監督1962年作品)
苦しきことのみ多かりき。
(「放浪記」から林芙美子の言葉 )
あらすじ
うだつの上がらない父謙作(織田正雄)を九州に残して、林ふみ子(高峰秀子)は、母きし(田中絹代)と一緒に東京の下宿先に住む。母と一緒に衣類の行商をするが、不景気で売れ行きは悪い。父親も稼ぎがなく、きしに無心してくる始末。そんな、ふみ子は初恋の男香取が忘れられない。香取はふみ子を捨てて別の女を嫁にしていた。同じ下宿先に印刷工で妻に先立たれた安岡(加東大介)がなにかと親切にしてくれるが、ふみ子は醜男が嫌いと言う。
そんな伊達がふみ子に「二人だけの幸福は不可能かな」と口説いた。妻はいるらしいが別居中らしい。男に甘いふみ子は甘いマスクの伊達に夢中となり、伊達の下宿に転がり込んでしまう。生活力のない伊達を養うつもりで居酒屋に勤めたが一日でクビになる。早めに帰宅すると伊達は家にいない。そのとき女性から来た手紙があった。差出人は女優で詩も書く日夏京子(草笛光子)からだった。文面から伊達と京子がいい仲になっているような内容だった。後日、京子は伊達の家に来ていた。京子はふみ子に「私は伊達の妻だ」と言う。伊達はふみ子を女中だと言っていたのだ。悲しみにくれたふみ子は、再びカフェーに勤めた。「めちゃめちゃに狂いたい気持ち。めちゃめちゃに人恋しい」というふみ子はカフェーで狂ったように踊り歌いふざける。
自分の原稿が売れない福地は、ふみ子自身も原稿を売り込んでいることが気に入らないため、その事を責めてふみ子を叩いた。そんな中、九州から母が住まいを見付け訪ねて来た。母と娘は、金・金・金といくら働いてもままならないと嘆く。福地は黙って外へ出て行く。その後、白坂と京子・やす子の3人が福地の家を訪ねてくる。
そんな中、「女性芸術」には、ふみ子の「放浪記」が採用され掲載された。実は京子の原稿を預かったふみ子は、福地とのゴタゴタの最中で締め切りを過ぎてから村野に渡したのだった。そのことを知った京子はカフェーに来て文句を言ったが後の祭りだった。その後、ふみ子は、画家の藤山(小林圭樹)と一緒になり、木賃宿で執筆活動に没頭する。
ついに雑誌に連載された「放浪記」が単行本で出版された。出版記念会は関係者がみな集まった。しかし、伊達と京子は来なかった。来ないと思った福地が突然来て祝辞を述べた。その後、ふみ子は雑誌や新聞に連載小説を次々と書く売れっ子作家となった。立派な家を建て母親を呼んだ。安岡も小さな印刷会社の社長になって訪れる。そして慈善事業や親戚、同人雑誌の寄付を求める客も来た。ふみ子はそんな求めには応じなかった。疲れて転寝をすると遠い昔の行商をしていた頃の夢を見るのだった。
この映画は林芙美子の「放浪記」をシナリオ化したもの。時代背景は昭和初期。日本中が不景気で、特に庶民は貧しかった頃である。行商や女給をしながら詩人を目指し、ダメ男に惚れては振られ、惚れては振られて人生を斜に構えて生きて、小説家として大成する女性の物語。
林芙美子の人生がこういう小説家を作り上げたのか、小説を書くためこういう人生を選んで生きたかのか、「卵が先か鶏が先か」で分からない。ただ、読む方は前者であってほしい。困難な境遇にあって、なにかに慰められ耐え忍んで現在を生きる人たちの赤裸々な生きざまを見せつけられると溜飲が下がる気がする。太宰治や檀一雄、織田作之助、坂口安吾など無頼派の文学とどこか似ている。
晩春(小津安二郎監督1949年作品)
麦秋(小津安二郎監督1951年作品)
流れる(成瀬巳喜男監督1956年作品)
スティング(ジョージ・ロイ・ヒル監督1973年作品)