ギャラさん映画散歩

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流れる(成瀬巳喜男監督1956年作品)

         若い頃は、素人と玄人の領分は、はっきりしていたの。
        私たちは素人に負けまいとツッパリを教え込まれた。
          この頃は、着るものも髪型も芸事も特別なものがなくなった。
                        (「流れる」からおつたの言葉)
 
あらすじ
浅草柳橋の花街にある芸者置屋「つたの家」の家には、つた奴のおつた(山田五十鈴)とその妹米子(中北千枝子)と娘、長女の勝代(高峰秀子)が住んでいる。そのほか、芸者なな子(岡田茉莉子)なみ(泉千代)が同居し、通い芸者染香(杉村春子)もいた。そこへ職安からの紹介で、女中として梨花こと(田中絹代)が住み込んで家事・雑用をすることになった。その日、なみ江は勝代に対し、裏の稼ぎを伝票に書かれ、その分まで上前を撥ねたと文句を言い出し、そのまま帰って来なくなった。

 

 おつたは、以前金持ちの花山先生の世話を袖にして好きな男に借金してまで入れあげ捨てられた経緯がある。また、勝代が以前お目見えしたときの衣装代諸費用など異母姉のおとよ(賀原夏子)に借金している。勝代は誰にでも愛想よくできず、あまり売れもしなかったので半年で芸者は止めてしまった。おとよは、おつたへの集金を兼ねてお世話したいと言う村松という男を紹介するので会ってくれと言う。
 
おとよはおつたを芝居に誘い村松に引合せたが、食堂で料理屋の女将お浜(栗島すみ子)と甥の佐伯(仲谷昇)の姿を発見。お浜は以前、おつたの姐さん芸者だったため会うのが恥ずかしくなり、その場を去った。一方「つたの家」には、なみ江の伯父(宮口精二)が千葉から訪ねてきた。伯父は「姪に無茶な稼ぎをさせ、上前を誤魔化した。出るところへ出て話をつけたい」と玄関に出たお春へ主人に伝えるよう脅かして帰っていく。た
 
おとよは再度おつたに村松に会せたがったが、おつたは「自分でやります」と断る。そんなところになみ江の伯父から30万円を取りに行くと手紙が来る。困ったおつたは、お浜に相談することにした。お浜は甥の佐伯を勝代の婿にしたらどうかと話す。そしてお浜を通じて花山先生に10万円援助してほしい旨頼むことになる。
 
翌日、勝代は職安に。おつたは災難除けのお札を寺に受けに行く。その留守にお浜が「つた家」に来て、お春に10万円を渡す。そんな中、なみ江の伯父が来たのでお浜は伯父を二階に上げ待たせる。そこへおつたは帰ってくる。そんなゴタゴタの中で、米子の元旦那(加東大介)が訪ねて来て娘の薬代を渡すので受け取り。そしてなみ江の伯父のいる二階へ上がって交渉となる。酒肴を用意してとりあえず、おつたは伯父に5万円渡した。「5万で帰れるか」と怒鳴る。しかし、おつたは酔わせて何とか言いくるめ、近所の旅館に泊まらせた。その晩、巡回の巡査が夜中に来たため、おつたは巡査に五目そばを奢ってやるのだった。
 
翌日、おとよが来ておつたへ「商売替えして旅館にしたら」と言いに来る。また、お浜はそんなおつたへ前の旦那で勝代の父でもある花山先生に直接相談を勧める。佐伯が小石川の料亭で花山先生と会うお膳立てをしたが、結局花山は来なかった。一方、勝代は働かないと肩身が狭いとミシンの下請けをやると言い出す。おつたはそんな落ちぶれたことはやらせたくないと嘆く。
 
一旦、千葉へ帰ったなみ江の伯父だが、再び残金を貰いに「つたの家」に来た。一緒に対応した勝代と口論になり、お春は交番に連絡し、巡査は伯父とおつた・勝代を本署に連れて行き話し合うことになった。それを聞いたお浜も警察へ行きとりあえず、みんなは引き揚げ最終的に佐伯が後始末を付けることになった。伯父はなみ江の荷物をリヤカーで持ち帰る。
 
結局、おつたはお浜に家屋は買ってもらい、おとよの借金を返し、お浜から家を借りて置屋を続けることに決めた。勝代は佐伯に「本当は置屋を止めてほしかった」と言う。しかし、佐伯は「姉さんは芸者に向いている。堅気は向いていない」と答える。勝代は「玄人に生まれ、素人に育った。これからどう暮らすかよ」とため息をつく。
 
そんな中、染香が同棲している10歳下の男が田舎へ帰ってしまったと泣き喚いて来る。おつたと口争いになり、揚句はなみ江と同じことを言い出す。そんな染香だが後日詫びに来て元に縒りを戻す。勝代はミシンかけに精を出し、お春はお浜から小料理屋を出すのでやらないかと打診されるが断る。おつたは芸者志望の娘たちに踊りを教える。「つたの家」はまた隅田川の流れのように日々が流れる。
 
感想など
小説の作者幸田文が、柳橋芸者置屋へ女中奉公したのは昭和269月頃である。その年の暮に病気になり、年が明け長女の玉が自宅へ連れて帰ったという。その三か月の体験を基に昭和30年に小説「流れる」として雑誌に発表した。翌年11月映画化され、文部大臣賞を受賞している。小説も新潮社文学賞を受賞する。この映画見るのは4-5回目です。
 
時代背景は戦後間もない頃だ。対外的には朝鮮戦争が行われ、外需が高まり金偏景気で、金持ちとして登場する村松は鉄工会社の重役である。柳橋のような花街は、まだ曲がりなりにも存在できたが、「つたの家」は、借金まみれの落ち目の状態のようだ。原因はおつたの昔気質の気質が由来している感じだ。つまり、情に流れ、惚れたらとことん尽くすというもの。だが、金持ちの嫌いな人間を袖にしても、恩や義理には縛られる。
 
置屋「つたの家」の暮らしぶりを見ると仕事も暮らしも一緒である。おつたの家族は、娘の勝代だけだが、妹母子が同居している。住み込みの芸者も女中もいる。他人同士の共同体でもある。プライバシーはお互いに筒抜けでも立ち入らない。巡回の警察官に五目そばを食べさせるシーンがある。また強請りたかりのなみ江の伯父にお酒や晩飯を振る舞って宥めて帰すシーンなどは、現代では敬遠される「まあまあ主義」の典型でもある。
 
芸者とは料亭や待合での宴席で歌や踊りなど芸を披露して座を盛り上げる役目である。接待で客を楽しませる側であり、客を素人とすれば芸者は玄人だ。だから着物や化粧には人一倍気を使う商売道具であり、自分たちには素人とは違うと言う自負を持っている。しかし、実生活は実に慎ましいことがよく分かる。年増芸者だからか、杉村春子演じる染香は、つたの家のソースを使ったり、夜食は弁当を作ってきたりコッペパンだったりする。なな子の化粧品をくすねたり、台所のお酒が減っていたりする。また置屋側も裏収入の上前を撥ねたりしているような狡さも見え隠れする。
 
おつたと妹米子は、共々惚れこんだ男に捨てられるという不運を持っている。おつたは、店を抵当に入れて借金まみれである。上手く立ち回っているのは、およねやお浜である。不運な母親を持つ勝代は、母のようになりたくないし、母を心配している。自分は素人でも玄人でもない中途半端と位置づけ結婚も望まず、堅気で生きたいと望んでいる。そこで働くお春は、働きぶりや性格や人柄が評判で、お浜から小料理屋をやらないかとの誘いもある。しかし、お春はおつたや勝代、米子や芸者衆のいる「つたの家」でずっと働くことを望んでいる。落ち目になった芸者置屋を懸命に守ろうとするおつたや芸者衆と共に居たいというのも、素人のお春にも、その心意気が共鳴しているようにも感じられた。
 
話の進行は、およねへ家を抵当を入れて借りた金を、姉さん芸者お浜の口利きで、昔からご贔屓になっている花山先生に「つたの家」の建物を買ってもらい、売買代金でおよねの借金を返済する。そしてお浜へ家賃を払って建物を使い「つたの家」を従来通りやって行くということで決着をつけ話は終わる。人情家のおつたの芸者としての意地を通したと言う結末である。勝代と佐伯が一緒になるかどうかは分からない。
 
「流れる」とは、隅田川沿いにあった花街「柳橋」の芸者衆の生き様を表現したものとして受け止められる。昭和中ごろまで栄えた花街も、時代は変わり徐々に寂れていった。昭和30年代後半には、柳橋の花街はすべて消え去って、今はそんな面影もほとんど残っていない。
 
映画は、山田五十鈴岡田茉莉子高峰秀子の美人女優と杉村春子中北千枝子の芸達者の競演が見ものであった。特に年増芸者の悲哀杉村春子は見事に演じた。また、加東大介に捨てられた中北千枝子の哀れさは悲しみが滲んでいた。ただ。主役に名を出している田中絹代が、あまりにもこき使われているだけなのが幸田文に申し訳ない感じでした。たしかに失われてしまった柳橋芸者衆の外見華やかな世界の裏側を見るとこんなにも、虚飾の世界なのかと思うことしきりの作品であった。

 

GALLERY
 
タイトル             お春は「つたの家」の女中になる 
娘の勝代と女将のおつた         若い芸者のなな子 
年増の芸者染香           姉のおとよが借金の集金に来る 
元先輩芸者で料理屋の女将のお浜     勝代は堅気でやるうとしている 
なみ江の伯父がゆすりに来たのでお浜が来るお浜が持ってきたお金をおつたに渡す 
米子の元旦那の板前         おつたをゆするなみ江の伯父               
 
巡回の巡査              花山先生との復縁を勧めるお浜 
化粧するおつたと手伝うお春        なみ江の伯父と再交渉 
警察に行く一行              佐伯が中に入り話をつける                
 
佐伯と勝代が話し合う         染香が伝票の不満をぶちまける 
内弟子に稽古をつける染香とおつた     隅田川の流れ