ギャラさん映画散歩

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蜩ノ記(小泉堯史監督2014年作品)

                            「我が藩の騒動は公儀にも知れた。お家のために其の命と名誉を

             わしに預けてくれ」

                   (羽根藩六代藩主三浦兼道から戸田秋谷への下命)

あらすじ

豊後羽根藩の奥祐筆(書記)の壇野庄三郎(岡田准一)は、お役目中に風で筆の墨がご同役水上信吾(青木崇高)の家紋に飛んだため信吾と言い争いになり、庄三郎の小太刀が信吾を負傷させる事件が起こった。城中での喧嘩は両成敗の切腹だが、中根家老(串田和美)は信吾が甥であり、なかったこととして庄三郎を隠居させ僻村で家譜編纂をしている戸田秋谷(役所広司)一家の監視兼家譜清書の役目を命じた。

 

家譜編集をする秋谷は7年前に江戸詰めの頃、主君の側室と密通した廉で捕らえられ切腹を命じられた。しかし、秋谷は羽根藩の歴史にも通じていたので藩主三浦家の家譜編纂中でもあった。そのため家譜完成の10年後に切腹せよと延期されていた。もし、秋谷が他藩に逃亡の際は、極秘情報を知る一家を切れと庄三郎は言われる。

 

僻村の秋谷一家には、妻織江(原田美枝子)・娘(堀北真希)・長男郁太郎(吉田晴登)がいた。秋谷は家譜編纂と畑仕事や寺子屋で村のこどもに学問を教えていた。ある日庄三郎は寺の慶仙和尚(井川比佐志)から秋谷の事件の顛末を聴かされる。旧藩主の正室お美代の方(川上麻衣子)の子と側室お由の方(寺島しのぶ)の子の世継ぎ争いが下地にあったこと。お由の方と幼馴染であった秋谷は望んで罪を背負い、御家断絶を救ったというのだ。

 

一年後、中根家老から呼ばれた折り、庄三郎は松吟尼となったお由の方に会うことを願い出て面会した。松吟尼は「当夜、居室に刺客が入り、こども鶴千代をを殺した。そこへ秋谷が来て自害しようとしたお由に生きよと力づけた。秋谷には何の落ち度もない。大殿から許されたので秋谷殿も許されていると思っていた」と告げられた。後日、慶仙和尚に元に松吟尼が訪ねてきて、庄三郎に会いたいというので、薫と共に会い、大殿から松吟尼へ渡されたというお美代の方の由緒書を見せ秋谷に渡してほしいと言われる

 

由緒書を見た秋谷は「お美代の方の父親は存在しない旗本の名だ。たた、福岡藩士に縁故者がいる」と首をかしげる。庄三郎は関係改善した信吾に福岡藩士の様子を調べてもらうと羽根藩の御用商人「播磨屋」の先代であることが判明する。由緒書は中根家老が、捏造したでたらめのものだったと分かる。

 

由緒書の存在を知った中根家老は、秋谷に対し渡すよう命令の使者を向かわせたが秋谷は断る。そんな中、「播磨屋」と組み農民に過酷な年貢取り立てようとした郡奉行が農民に川に投げこまれた。実行した農民の息子源太が目付に捕まり、拷問で殺された。源太の友達だった郁太郎は、上役の中根家老に仕返しするというので庄三郎も一緒に行き、家老を追及したので、二人とも牢屋に入れられる。

 

中根家老は、捏造した由緒書を返せば、二人を返し秋谷も無罪にしてやると信吾を使いに出した。それを聞いた秋谷は「中根家老と直談判する」と出かけた。由緒書は慶仙和尚の寺の記録として残し、秋谷は中根に渡した。「偽りのない事実を歴史として残しても御家は守られる。自分は大殿に歴史を鑑とせよとのお約束した。約束通り腹を切ります」と言うと「さて、自分は死人の同然なので」と源吉の仕返しだと中根家老に一発くらわした。そんな家老だが、意外と怒らなかった。「義を見てせざるは勇無きなりか。義とは良民のことか。耐えてもらったことを返す時期だ」と反省しきり。庄三郎と郁太郎は解放されたので秋谷は連れ帰った。

 

10年が経過し、羽根藩主三浦家の家譜は完成した家譜にはお美代の方の由緒書のとおり記載されている。また、お家騒動の部分は不祥事として関係者が処分されたことが記載されていた。庄三郎は戸田薫と祝言を上げる。また、郁太郎は元服して戸田家は羽根藩家臣として復活する。

そしていよいよ秋谷は切腹を行うため家族に見送られ家を立ち去る。

 

感想など

時代劇を見ていると超法規的な処理理不尽な場面が結構あるが別に驚かない。現代のような厳格な管理社会でのコンプライアンスを求めない時代と暗黙の裡に思うからだ。「喧嘩両成敗を見なかったことにする」「家譜作成のため10年間切腹を執行猶予する」など寛大さは当然のように了解しよう。

 

藩主に何人かの側室がいると、側室達はそれぞれ自分の子をお世継ぎにしたいと思う。そんな一方の側室が対抗馬に刺客を向け、若様を殺したとなるとお家騒動として、幕府から改易処分を受けてもやむを得ない話だ。そんなお家騒動を封印するため、若様は病死にし、側室は不義密通として、でっち上げたというもの。それは改易を逃れるための藩主の苦渋の選択であり側用人だった秋谷に犠牲を強いたものだった。

 

戸田秋谷は落ち度がないのに密通したという罪を背負って自己犠牲を甘んじる。藩のためには滅私奉公することが忠義であり、武士の美学だと信じている。忠孝は中国の儒教の思想を源流としている。寺子屋で秋谷は孔子の「論語」講義している。

 

壇野庄三郎は寛大に切腹を免除され、秋谷の元に行き人間性に無関心を持つ。不義密通は羽根藩改易のカモフラージュで、更に現藩主の母親お美代の方の由緒書が家老による捏造であることも露見させたので、秋谷を無罪にさせたかったが羽根藩の安どのため家譜には、それら事実として書けなかった。

 

お大名のお家騒動で改易やお取りつぶしは江戸時代でも300も頻繁に行われた。有名なのは忠臣蔵赤穂藩。越後高田藩松平家などある。事情は、後継ぎ不在が多いが、乱暴狼藉、発狂・乱心、藩内騒動、刃傷、失政・喧嘩など理由はさまざまである。

 

この映画の羽根藩は、お世継ぎ争いを側用人だった戸田秋谷と側室が不祥事を起こした事件として幕府にカモフラージュし改易・お取りつぶしの難を逃れたというものが主軸の話で、更に家老の正室の由緒書の捏造や戸田家見張り役壇野庄三郎と戸田家との交流、娘薫との恋愛結婚、息子の成長と元服などが絡んで広く展開している。

 

江戸時代の忠孝に徹した武士の精神的生き方を描いているし、命令で右往左往する単純な家来達もいて、チャンバラや格闘シーンも何回か見られる。また権力者が歴史に残すため事実を捻じ曲げている場合もあるが、資料さえ残しておけば、後世の人は本当の事実を探りあてられるということも暗示している。現代人の生き方とはかけ離れた内容だが時代劇はこういうものだというエンターテイメントとして楽しめる作品。

 

ギャラリー

  

祐筆の庄三郎は信吾と喧嘩し隠居させられる  タイトル (戸田秋谷の日記帳の題名)  

 

秋谷の家譜編纂の清書と見張りを下命さる   庄三郎は戸田家に住み込む

 

作業を行う二人            秋谷は寺子屋で村の子らに論語を教える

 

家族は藺草でござを作る          松吟尼(お由の方)と庄三郎は面会

 

松吟尼からお美代の方の由緒書をもらう   郁太郎は源太の仕返しに家老に面会

 

庄三郎と郁太郎は牢屋に入れられる      秋谷が家老に会い由緒書を渡す

 

藩主兼道に秋谷は命と名誉を預けた      庄三郎と薫は祝言をあげた

 

郁太郎は元服して家督相続する      秋谷はよき妻と子供に恵まれたと感謝

切腹のため家族との別れ