ギャラさん映画散歩

映画・話題など感想や記録・・・

アリスのままで(リチャード・グラツァー他監督2015年作品)

     「なくす技を覚えるのは簡単。多くのモノが失われるのは                           災いではない」

       (「アリスのままで」で引用の詩人エリザベス・ビショップの言葉 )

あらすじ

コロンビア大学言語学教授のアリス・ハウランド(ジュリアン・ムーア)は、UCLAに招かれて講演を行う。講演中ふと言葉に詰まった。冗談として切り抜けたが気になる。また、大学構内をジョギングしていて、ふと道に迷ってしまう。

 

そんな彼女は、夫ジョン(アレック・ボールドウィン)と暮らしていて50歳になった。三人の子供がいて、別居している。娘リディア(クリスティン・スチュアート)は、劇団に所属してるが、自分の人生を生きていると満足している。アナ(ケイト・ボスアース)は、法律を学んでいる。トム(ハンター・パリッシュ)は医学を学んでいる。

 

物忘れが気になり、長老派教会病院の神経科医師に診て貰った。問診の中で近時記憶障害の傾向を指摘され、次回MRI検査を受けるので、家族を同行してほしいと医師は言う。アリスは夫に同行してもらうことは気が進まないので、一人で再診を受けた。MRIは正常だが、若年アルツハイマー病らしいので次回は必ず家族と来るようにと医師は念を押した。

 

そのため、アリスはジョンに打ち明けた。ジョンは信じなかったが、アリスは「人生を捧げて来たものが何もかも消え壊れる」と号泣した。二人で神経科医師と面談する。「アミロイド値が高い。現在の症状が裏付けている」と遺伝子検査を勧めた。遺伝子検査の結果は家族性のもので子供達にも100%遺伝すると言う。そこで子供達が来たときにアリスはそのことを告げる。「君たちの意思で検査を受けてくれ」とジョンは言った。

 

アナは陽性でトムは陰性。リディアは拒否をした。アナは人工授精だが出産を望んだ。大学でのアリスの講義に学生たちに不満の声が聞こえ始めたため、学部長にそのことを伝えた。そんなアリスは、パソコンに質問に答えられなくなったら次の段階に進むことを入力し、「蝶」のフォルダーを開くことにした。

 

アリスはジョンに「私が私でいられる最後の夏」と言い30年前のギリシャ旅行を懐かしむ。その後は子育てと仕事に貪欲であっという間だったと回顧する。トムやアナが訪ねて来た。翌日、リディアが出演する劇場へみんなで見に行く。終演後、みんなはリディアを褒め称えた。一瞬、アリスはリディアを他人と勘違いして、アナから窘められる。

 

再診に二人で行く。進行のスペースは遅れる者もいるので希望を持てと医師は言う。そんな中、アリスは認知症介護者の会合で講演を頼まれていた。3日かけて原稿を作り上げ、家族や医師も参加して講演を行った。詩人ビショップの言葉を引用した。「なくす技を覚えるのは簡単。多くのものが失われるのは災いではない。私は日々、なくす技を修得している。しかし、まだ生きている。私は苦しんでいない。戦っている。過っての自分であろうと。」

参加者は全員拍手をして講演を称賛した。

 

ジョンはミネソタの病院に自分の研究チームが招聘された為行く決心をした。アリスは引っ越しを嫌がった。アリスの物忘れは一層進んだ。そんな中、アナが双子を出産した。次第にアリスは自問自答に答えられなくなり、極限状態になった。最後の手段は、服薬自殺だったが、介護士が戻って来たため錠剤をばら撒いて失敗する。結局、リディアが家に戻りアリスの世話をすることとなった。リディアはアリスの言動をすべて受容してやったためアリスは平穏に過ごすことが出来た。

 

感想など

主人公の50歳の大学教授は言葉の忘れ、道の迷い、物忘れなどが気になり、神経科の診断を受ける。医師から年齢の割に「アミロイド値が高い」と若年アルツハイマー病と診断をされる。さらに家族性のもので、子供等に遺伝する可能性を指摘される。

 

家族も青天の霹靂で、動揺するがやがて冷静に対応すようになる。「私が段々と私でなくなる」という不安。子供等も遺伝すると聞き、検査で陽性となった娘、検査拒否の娘、陰性だった息子、それぞれが相当なショックを受ける。しかし、家族はアリスの病状を受容し、共生しようとお互いが、アリスの病気について理解を示していく。

 

彼女が言う「自分が自分で無くなる」という喪失感は人生の場でいろいろな場面で遭遇するものだ。交通事故や自然災害、ガンや認知症など病気や障害、高齢による衰弱など精神的にあるいは肉体的に、徐々にあるいは青天霹靂にその人に降りかかってくる。アリスは「むしろガンの方がよかった」と嘆くが、ガンの人から見れば「認知症の方がよかった」嘆くものになるかもしれない。

 

家族の対応はよかった。夫はアリスの症状を理解し、受容した。アリスの話をよく聞いた。逆らわず受容と共感の態度で接した。娘も日記を盗み見され一度は腹を立てたものの、後になって謝って和解した。大学教授であるアリスだから見識があり、人格が優れていると言うことではない。大学教授の夫だから子供だから理解が出来るというものでもないだろう。そこにあるのは人間としての在り方の問題である。

 

アリスは、まだ意識があるうちにパソコンの中に自問自答が出来なくなったときに自分のとるべき行動を入力して置いた。つまり極限状態になった時、服薬自殺をすることだったのだが、訪問介護士が帰って来て、服薬自殺は失敗に終わる。認知症ですべてを失ったようだが、永遠に無くなるモノはないという考えを説いて映画は終わる。

 

ジュリアン・ムーアは、素晴らしい演技だった。方向感覚をなくし、モノを失くし、眠りを失くし、記憶を失くしていく若年認知症として、徐々に身も心も壊れて行く過程を痛々しく演じて見せてくれた。そんな過程を見ていると自分が老いて行く過程と重なるものを感じてしまう。一方、詩人ビショップの「多くのものが失われるのは、災いではない」の言葉が胸に突き刺ささり、「私は苦しんではいない。世界の一部であろうと今の瞬間を生きている」という戦う姿勢も持とうと足掻く。

 

GALLERY

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ジョギングで一瞬迷子になるアリス  子ども達のアン・リディア・トム

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若年性認知症と診断される      ジョンと共に結果を聞く

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アンと夫 トムにアルツハイマー病を告白する

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講義で生徒から不満がでる      遺伝性なので子ども達も検査

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パソコンに将来の行動を入力する   家では認知症が進む

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娘に大学に戻るよう勧める      家族はアリスの行動を受容する

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再診              認知症介護の会合で講演するアリス

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ジョンはミネソタに行きたいと言う  アナの出産

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アリスは自殺を失敗         リディアが家に戻った

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アリスの介護をするリディア      タイトル

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

万引き家族(是枝裕和監督2018年作品)

            「僕、わざと捕まったんだ。」

               (「万引き家族」から翔太の言葉 )

あらすじ

東京の下町にあるボロ家屋に柴田初枝(樹木希林)は、息子治(リリー・フランキー)と妻信代(安藤サクラ)と孫翔太(城桧吏)、そして信代の妹亜紀(松岡茉優)と5人で暮らしている。ただ、公には初代が独居老人として暮していることになっているので、民生委員が来るとみんなを外出させる。

 

初代には年金(実態は慰謝料?)月6万円の収入がある。治は日雇い作業員で、信代はクリーニング工場のパートだ。収入が少ないので、治は翔太と一緒にスーパーなどで日用品などの万引きで収入を補っている。亜紀は風俗で働いている。翔太は「家で勉強が出来ない奴が学校に行っている」という理屈で学校には籍がない。

 

ある日、治と翔太が万引きの帰り道、団地の外廊下にたたずんでいる「ゆり」と名乗る5歳の女の子を連れて帰る。信代は帰せと団地に戻そうとしたが、部屋から「生みたくて産んだ子じゃない」と母親らしい声が聞こえたので、二人は不憫に思い柴田家で一緒に暮らすことにした。実は翔太も治が車上荒らしをしていた時、空腹で車の中にいたとき、治が連れて来たのだった。

 

翔太はゆりと一緒に雑貨屋で万引きした。その日、治は工事現場で右足の骨に皹が入るケガをした。一ヶ月は働けず労災は下りない。収入のない治は、釣具店で高級な釣竿を翔太とゆりの3人で万引きした。翔太はゆりを使うことに躊躇していたが、治は「ゆりだって、家の役にたちたいだろう」と翔太を納得させる。

 

そんな中、テレビで5歳の少女が二か月も行方不明になっているとゆりの動画が放映された。両親は捜索願も出しておらず、警察の取り調べを受けているとのことだった。治は連れて帰るかと言うが、信代は帰さないで、自分の娘にしたいと言う。翔太も妹にしたいと言い、バレないように髪の毛を切って、家族にすることと決めた。今後は「りん」と名前を変えることにした。

 

信代はクリーニング工場をクビになる。同僚がりんのことを嗅ぎつけていたため脅迫された。初代は、夫の後妻の息子夫婦から慰謝料を貰っていた。命日には押しかけて仏壇を拝み3万円をせしめる。その息子夫婦の長女が亜紀だった。柴田家は、6人家族となり、和気藹々と仲良く暮らすことが出来た。夏には海水浴へ出かけ楽しんだ。

 

だが、初枝の急死した。治と信代は初枝の始末に困り、敷地内に埋めた。家族には最初から初枝がいなかったことにしようと申し合わせる。初枝は預金とヘソクリを残していたため、治と信代は喜んだ。そんな二人を翔太は複雑に見詰めた。翌日、翔太はりんと共にスーパーに行き、翔太は万引きしようとした。りんにはさせないつもりだったが、りんが独断で万引きしよてしたため、翔太はりんを庇うため、大袈裟に盗って外へ逃げた。追う店員に捕まりかけた時、とっさに陸橋から飛び降りてケガをする。

 

翔太が緊急入院したため、警察が治と信代を呼び出した。治と信代は警察を恐れていたのだった。翔太・りん・亜紀を柴田家に残して逃走するところを逮捕された。翔太とりんは児童福祉司からいろいろと聞かれる。そして、治と信代は本名があり、痴情のもつれから信代の前夫を刺殺して埋めた犯人で前科者だったのだ。亜紀は初枝が実の両親から慰謝料を取っていたことを警察から知らされる。

 

治と信代は柴田家にこども等と亜紀を残して逃走するつもりだったが、警察が二人を捕まえてしまう。そして柴田初枝の死体遺棄が判明。死体遺棄については信代が一人でやったと供述し、刑に服することとなる。治は無罪となり、別のアパートに一人住むこととなる。

翔太は児童養護施設に入り、学校に通うこととなった。りんは両親の元に帰された。

 

刑務所で治と翔太は信代と面会した。信代はみんなで柴田家で暮らしたことは楽しかったと言う。そして翔太に連れて来た場所と車の車種を教え、親を探したければ探せることを教える。面会後、二人は治のアパートに行き一泊した。別れ際、もう会えないと治は言う。

最後に翔太は「僕はわざと捕まったんだ」と告白し二人は別れる。

 

感想など

疑似家族(他人同士が家族として暮すもの)の、家庭崩壊の話である。映画は当初、家族のような団らんもあり、みんなが疑似家族だとは分からない。しかし、話が進行するにつれて、徐々に他人の集まりであり、全員が赤の他人であり、みんなしたたか者であることに唖然となる。「店の商品は誰のものでもない」という破天荒の理論をもつ治は、翔太と組んで日々万引きをして暮らしている。初代はパチンコ店で他人の出玉箱をこっそり盗んでしゃあしゃあとしている。信代はクリーニング工場で、衣服に会った貴金属をネコ婆する。

 

最後まで映画を見ないと彼らの過去と正体が分からない。下町のボロ家屋に住む独居老人柴田初枝は、前夫に捨てられた。別の女と一緒になり息子も出来た。その前夫からは慰謝料を取って暮していたが前夫の死後は、その息子の成人した娘を同居させ慰謝料を継続的にもらっていた。そんな中に痴情の果て、夫殺しの前科者治と信代と同居。治は車上荒らしの際、車で腹を空かせていた翔太を連れて来る。また、虐待でいる場のないりんを連れて来た。柴田家は、そんなどこへも行き場のない人達の疑似家族だったというもの

 

彼等は、「罪を憎んで人を憎まず」「盗人にも三分の理」などの格言とは一線を画している。何故なら彼等は「万引き家族」であり「犯罪家族」であり、ずる賢い打算だ。いわば社会のアウトローであり、個人としては生きられず寄っかかり合う、互助の集まりである。そんな彼らの目指すものはなんだったのか。社会から疎外され、また家族と言う集団からも疎外された人間だが、社会で生き抜く手段を求めた。

 

私生活は家族によって構成される。個人に個人がバラバラであれば、自由気ままであるが、個人だけでは生きられない弱い人間はたくさん存在する。人は家族から生まれた。例外はあるが、心の絆、ギブ&テイクの打算、お世話しお世話されるお互いの助け合い、ちょっとした言い争いする息抜き、育て育てられる使命感などなど、身近な家族がいると心強い。

 

柴田初枝の死から疑似家族に変化が始まる。初枝の預金やヘソクリに歓喜する治と信代。それを見ていた翔太は、りんに万引きをさせないため、ワザと捕まってしまう。逃げて負傷して救急搬送され、そこから柴田家の内幕が全て洗いざらい警察にバレてしまう。信代は死体遺棄の罪を背負って刑務所に入る。そのことによって翔太は児童養護施設。りんは両親の元にり、その疑似家族は崩壊してしまう。

 

半世紀前に小津安二郎監督が、家族の崩壊をいろいろと描いて見せてくれた。まるでバブルのように新しい家族ができて、崩壊して消えていく。我々はそれを実感して生きている。

この映画の柴田家が、疑似家族を作り上げ、当然普通の家族とは違ったかたちで崩壊する。それは一時の幻想と必然の結果であった。

 

疑似家族を広くとらえると「養護施設」「グループホーム」「シェアハウス」なども入るかもしれない。ただ、「親は子を選べない」というように制度としてのもので、本人の自由意思が通じない一面もある。法的な制度としては、養子縁組制度があり、これは赤の他人でも家族になれるし、遺産相続や扶養義務など権利義務を負わされる。この映画の疑似家族は、本人達の自由意思で生き残りを夢見た、つかの間の幻想的家族の結末である。

 

いたけない子供や「店の商品は誰のものでもない」という荒唐無稽な理屈で万引きをする大人の行為は、常軌を失している。映画はそんな常軌を失している人間を描いている。だが、そんな社会悪を肯定している訳ではない。ただ現実に万引き行為は、日常茶飯事に存在する。反面教師として描いた意味合いもある。多分、それは人間の孤独を浮き上がらせるための手段として常軌を失している行為を取上げて見せているのだと思う。監督が述べたかったのは、まさに人間の孤独と人との絆をどうしても必要とする人たちの幻想を見せたかったのかもしれない。

GALLERY
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タイトル                 空腹のゆりを連れてくる

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翔太はゆりと菓子とシャンプーを万引き  柴田家の一員となるゆり

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テレビがゆりの行方不明を報じた      初枝は前夫の後妻の子から慰謝料を貰う

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和気藹々の柴田家            家族で海水浴へ

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初枝が死んだので庭に埋める          翔太が万引きで逃げ負傷する

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警察や児相の調べで柴田家の様子がバレ、ゆりも翔太も調べられる

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亜紀は治も信代も前科者だと聞く      死体遺棄は一人でやったと信代

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ゆりは親元に戻る             信代に面会する治と翔太

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治のアパートに行く翔太         翔太は養護施設に戻り、お別れする

 

 

素晴らしき日曜日(黒澤明監督1950年作品)

             「夢では腹はふくれないと言ったけど。そいつは取り消しだ。

           今日は二食抜きだが腹は減らないよ。」

                            (「素晴らしい日曜日」から雄造の言葉)

あらすじ

終戦直後の東京雄造(沼崎勲)は復員して友人の家に下宿しながら職を得たが、生活に余裕はない。雄造には戦前から付き合っている昌子(中北千枝子)という恋人がいるが、昌子も姉の家に同居しながら働いている。そんな二人だが日曜日には待ち合わせてデートする

二人にとっての夢はベーカリーの経営だ。しかし、今はその日暮らしのようなもの。雄造はタバコも買えず、捨てられた吸殻を拾う始末。また昌子の靴底は破れている。折角のデートでも雄造は15円、昌子は20円しか持っていない。お金はないから只で見られる住宅展示場を見物し住む夢を語る。そこで耳にしたオンボロアパートを見に行くが、月600円の家賃や権利金3千円の用意は不可能だ。

 気晴らしに雄造はこども達の草野球で打たせて貰うが、打った球が饅頭屋の店に飛び、饅頭を3個台無しにする。それを10円で分けてもらい一つをこどもにやり、二つを二人で食べる。雄造は戦友が銀座でキャバレーを経営していることを思い出し、見学させて貰おうと出かける。しかし、友人は不在で支配人からタカリと思われ金銭を渡されるが、店の用心棒に返してしまう

 昌子の作ったおにぎりを食べる二人の前に浮浪児が来て欲しいと言う。一つやると浮浪児は10円札を出した。しかし、昌子は浮浪児が不憫で受け取らなかった。沈んだ気持ちになった昌子に雄造は動物園へ行こうと誘う。動物園を出た二人は、次の時間を持て余すのだが、残金は20円しかない。雄造の下宿先の友達は夜まで留守だ。下宿へ行くか、昌子の姉の家に行くか、このまま別れるか迷う。だが、昌子は東京公会堂でやる「未完成交響曲」のコンサートのポスターを見つけた。入場料は、B券なら一人10円だ。初めてのデートも同じコンサートだった。

 二人は東京公会堂をめざし走る。公会堂は長蛇の列。だが切符売り場に着いたときは、ダフ屋に買い占められたB券は売り切れていた。雄造はダフ屋に10円で譲れと頼むが、15円でないと譲らないと言う。押し問答の末、雄造はダフ屋たちに殴られてしまう。やむなく二人は雄造の下宿に行くが、みじめな気持は治まらない。幸い雨は止み、昌子の気持ちを察した雄造は喫茶店に誘う。ところがコーヒー、お菓子にミルクを足したため代金を30円請求され、持ち金が足りずコート脱いで置いてくる羽目になる。

 茶店での幸せな気分も借金でメチャメチャになる。しかし、まだ空襲の焼野原の残る外に出た雄造は突然「二年先でも五年先でもいい。二人でベーカリーをやろう」と夢を語りだす。そして野外音楽堂を見付けて行ってみる。二人とも夢が描けるならきっと楽団がいなくても音楽が聞こえる筈だと編み棒をタクトに雄造は指揮を始める。だが、簡単には音楽は流れてこない。そこで昌子は観客に向かって「お願いです。拍手をしてください。私たちのような貧しい恋人達に声援を贈ってください」と哀願する。

 するとどうでしょう。シューベルトの「未完成交響曲」が流れてくる。二人の夢が叶ったことを想像するのだ。駆け寄り抱擁する二人。また、来週の日曜日にランデブーすることを約束して別れる二人。駅のホームに落ちている吸殻を今度は踏みつける雄造だった。

 

感想など

終戦直後の東京で、貧しいカップが日曜日にデートする一日を淡々と描いている映画だ。1990年代から言われているワーキングプア(働く貧困層)は、いつの時代でもあったことが分かる。二人はベーカリーを経営することが夢だが、現状では住むところさえもない始末。黒澤監督の弱者への寄り添いが見事に展開している。

 

金のない二人は無料の見本住宅を見る。ここに箪笥を置いてと夢を語る昌子に「夢で腹はふくれない」と嘆く雄造。吸殻拾い、破れた靴、一緒に住めない悲哀が滲んでいる。と同時に、二人の生真面目さ誠実さが清々しく心地よい。戦友で成金のキャバレーで支配人が恵んでくれた何がしかのお金は受け取らない潔癖さ。浮浪児がおにぎり代を渡すのを受け取らない優しさには、心の豊かさを感じる。

 

安アパートの受付人の説明が愉快だ。「勧められませんよ。陽は当たらない。窓から見えるのは工場の便所。一冬いたらリューマチに、夏はチフスだ」と言いながら家主が覗くと「子どもはダメ。正当な職業で禁煙、保証人は3名、部屋代は600円、権利金2千円」とまくし立てる。まるで落語のようだ

 

黒澤流の諧謔はまだある。動物園見学にも悲しい笑いがある。ライオンの檻にブタが入れられている。家はいらず水に住める白鳥、熊の豪華な毛皮の外套、紙が食べられる山羊、キリンの素晴らしい家などが羨ましい、また猿からは自分たちが哀れに見られているなど雄造は感じるのだ。

 

一番悲しいのは、「未完成交響曲」のコンサート会場だろう。ひとり10円のB券はダフ屋に買い占められて、15円の値で売られている。20円の持ち金では入場できない。ダフ屋と喧嘩して殴られる哀れさ。踏んだり蹴ったりの悲哀は極限達する。やむなく雄造の下宿に行くが、惨めさは晴れない。幸い雨は上がり二人は喫茶店へ行くが、うっかりコーヒーにミルクを垂らしたためお金が足りず借金となる。そんな茶店のあくどさが、逆に安く良心的なベーカリーを作りたい決心に繫がる何年先でもいい自分の店を作ることを夢に見る。

 

最後の見せ場は、誰もいない屋外音楽堂で、初デートで聞いたシューベルトの「未完成交響曲」の幻の演奏を再び聞くシーンだ。簡単に幻は出ないため昌子は映画の観衆に向かって拍手や声援を懇願する。信念は岩をも貫き幻の演奏は聞こえたのだ。そして来週会うことを約束して二人は別れる。冒頭、吸殻を拾った雄造だが、今度は落ちている吸殻は靴で踏みつけて終わる。

 

場面アングル進行工夫や実験が試みられている。安アパートの管理人室から見た二人の姿をぼやけさせたり、土管を利用して円の中に座らせたり、草野球をしている子供達の前をトラックや牛車を通らせたり、二人の背景から浮浪児を撮ったり、満月を背景にブランコに乗る二人などなど、昌子が観客に話しかけたり、いろいろな場面に変化を付けていて退屈させない

 

格差社会は、いつの時代でも同じだ。非正規や派遣で働く庶民は、やはりワーキングプアだ。共稼ぎでも結婚が出来ない。晩婚化や独身が増えている。それに加えて少子化だ。大企業のエリートを除いて9割の中小零細の従業員にアベノミクスの恩恵は届くのだろうか。映画はそんな人たちにも夢や心の豊かさを失わないで欲しいことを訴えている。

 

GALLERY
   
タイトル                 昌子と雄造は日曜日のランデブー 
見本住宅を見学                   昌子の靴には穴がある 
安アパートでさえ入るのは無理       草野球に加わる雄造               
 
饅頭を食う二人              おにぎりを浮浪児にやる昌子 
戦友を訪ねるとタカリと思われる  動物園に入る二人 
コンサートに行こうとする     B券は売り切れで持ち金では入れない 
ダフ屋に譲れと頼むが断られる   雄造の下宿に行く 
茶店に行くが持ち金は不足    焼け跡でベーカリー経営の夢を語る   
良心的な店にしたいと雄造 野外音楽堂で「未完成」を聞こうと拍手を求める 
幻の「未完成」聞こえた      来週も会おうと約束して別れる二人

アラビアのロレンス(デーヴィット・リーン監督1962年作品)

              戦いの美徳は、若者の美徳だ。
             そして平和は老人が請負う
               ロレンスは両刃の剣で、もう厄介者なのだ。
          (「アラビアのロレンス」からファイサル王子の言葉)
 
   
  シナイ半島、ダマスカス              T.E.ロレンス実像
 
あらすじ
1916年、英国陸軍のカイロ司令部では、軍規違反の常習者であるT.E.ロレンス中尉(ピーター・オトゥール)にアラブの戦況調査へ行くよう極秘命令を下した。
当時、アラブはオスマントルコの支配に対して反乱を起こして対抗していたが、その中心人物は、ベドウィン族の首長ファイサル王子(アレック・ギネス)であり、エンボで指揮をとっていた。 
ロレンスが、エンボへ出向く途中、ハリト族の首長アリ(オマー・シャリフ)と出会い、案内人を殺される。
 
そのため、単独でファサイル王子の居場所を探すのだが、連絡将校のブライトン大佐(アンソニー・クエイル)が、出迎えてくれたので、王子が居たワジ・サフラに着く。ワジ・サフラでロレンスは王子と会えたが、そこにはハリト族の首長アリも居り、再び会うことになったのだが、突然トルコ軍の飛行機爆撃を受けて近代兵器のすざましさにたじろいでしまう。
 
ブライトン大佐は、ワジ・サフラでは戦況不利と見て、エンボへ退却し英国陸軍の援助を得た方がよいと主張した。しかし、王子は退却すれば英国の支配にさせられるという危惧を持ち決断しかねていた
そんな様子を知ったロレンスは、ゲリラ隊を組織して、ネフド砂漠を横断し、アカバ港を攻め取る作戦を王子に進言した。ネフド砂漠を横断することは、正気のさたではないが、難所を過ぎれば近くにいるハウェイタット族と合流でき、アカバ港にいるトルコ軍を背後から攻撃できるとロレンスは断言する。そんな計画にハリト族の首長アリは協力することにした。
 
ロレンス中尉は、50人の兵と共に、灼熱のネフド砂漠を横断し始めた。途中ロレンスがハリト族の兵士の一人を救出したことが、首長アリの深い信頼を獲得することになり、アリから「偉大なる人間は、自分で運命を切り開く」と賞賛されベニ・ウェジの首長のアラブ服を与えられる。ロレンスは英国陸軍の軍服をアラビア服に着替えて、なおも進軍した。
 
難所を越えた地点で、ハウェイタット族の首長アウダ(アンソニー・クイン)と出会い、ハウェイタット族の居住地ワジ・ラムに招待され、食事を提供してもらう。ロレンスはアウダに対し、アカバ港の攻撃に加わるよう頼むが、アウダはトルコから貰う金貨と比較して渋るのだが、トルコ側の金庫にたくさんの金貨があると聞かされ、それを獲得できることを条件に協力を承知する。
 
そしてロレンスの指揮で、ハリト族とハウェイタット族の連合軍は、アカバ港にいるトルコ軍を背後から攻撃して、アラブ軍はアカバ港を奪還する。そんな輝かしい戦勝をロレンスは、カイロの司令部へ行き報告する。新しい司令官のアレンビー将軍(ジャック・ホーキンス)は、ロレンスを少佐へ昇格させ、再び任地へ戻ることを命令する。
 
アカバ港へ戻ったロレンスは、アラブの英雄として、再びゲリラ活動に邁進して、トルコ側の鉄道列車を爆破させ物資を奪うなど華々しい活動に従事した。そんなロレンスをアメリカの新聞記者J.E.ベントリーが取材に来て質問する。
Q アラブはこの戦争で何を得たがっているのですか。
A 自由を望んでいる。必ず手に入れる。私が与える
Q 砂漠の何に魅せられるのか。
A 清潔さだ。
Q 奥の深い答えだ。
 
そしてなおもロレンスは、司令官の要請で、北方のデアラを一気に攻撃したいとアリに言うのだが、アリはハウェイタット族は気まぐれだ、部下を大事にしろと断る。ロレンスは一人でも行くと言い出し、やむを得ず、アリはロレンスと二人でデアラの町へ侵入したが、トルコ兵に捕まってしまう。アリは逃げたが、ロレンスはトルコの司令官の取調べを受ける。司令官はロレンスが白人なので、脱走兵と勘違いして、拷問をさせたうえ追放してしまう。
 
アカバ港へ戻ったロレンスは、アリに対して「私はもう終わりだ。人間は何にでもなれると思っていたが、私には思い上がりがあった。この肌の色までは変えられない。普通の人間だ。もう楽な仕事に変わりたい。」とアラブを去る決心をする。
 
そしてカイロの陸軍司令部へ戻ったロレンスは、アレンビリー将軍に転属を願い出たが、将軍からから英国とフランスが、アラブとトルコの土地を二分割するサイクス・ピコット条約を締結したことを聞かされ愕然とする。将軍は、来月16日に英軍は、ダマスカスを総攻撃するからロレンスも活躍してくれと命令を下した。それを聞いたロレンスは、英軍より先にアラブ軍がダマスカスを占拠しないと英国に支配を許してしまうと感じ、アラブ軍を先にダマスカスへ入れようとアラブの兵隊をかき集めようとアカバへ戻る。
 
ロレンスは、アラブ各地から金にまかせて無頼漢のような兵士を含め2000人をかき集めた。そしてダマスカスに向かい、途中も集落を襲ったトルコ兵を全員皆殺しにして進軍した。新聞記者は「汚れた英雄だ。汚れた顔を汚れた新聞に載せてやる」とロレンスの写真を撮った。
ロレンスは神に獲りつかれた様にダマスカスに入り、トルコ兵を殺戮し占拠する。そして市役所に「国民会議」なるものを設置し、アラブ各地の部族を集め話し合いをさせようとしたが、部族間には争いが起こり、なにも纏まらなかった。
 
ダマスカスの病院では、トルコ兵の重傷者が治療も受けられず悲惨な状況でいた。軍医はアラブ服のロレンスを罵倒した。そんな状態の中でハウェイタット族などは引揚げてしまう。ダマスカスは結局、アラブの旗の下で英国が運営してゆくことになった。
 
カイロへ戻ったロレンスは、司令官から大佐への昇格を告げられる。やがてシリアの支配者となるファイサル王子は、司令官にこう話す。
戦士の仕事は終わった。取引は老人の仕事だ。若者は戦い、戦いの美徳は若者の美徳だ。勇気やら未来の希望に燃えて。そして平和は老人が請負うが、平和の悪は老人の悪であり、必然に相互不信と警戒心を生む。ロレンスは両刃の剣です。今となっては両方に厄介者なのだ
 
英国本土に帰ったロレンスは後日、オートバイ事故で死去する。享年46歳。(冒頭の場面)
 
感想など
 
* 当時、オスマントルコの支配に対抗してアラブ民族を指揮して戦った一英国将校  の栄光と挫折の物語でした。
 
* 政治は利害を調整するのが役割ですが、軍事は侵略者を排除するのが役割で   す。また戦争は手段であって目的ではありません。おのずと戦争の英雄には、その役割に限界があるということなのでしょう。
 
* 英国人でありながらアラブ人の信頼を集め、アラブの服を貰い、アラブ人のため  役立とうと決意し、運命も変えられると思うほどの自信を得ても、結局肌の色は   変えられず、運命を変えられなかった挫折をロレンスは味わいました。
 
* アラブの砂漠は、灼熱で過酷な世界です。そんな大自然を背景に繰り広げられた  壮大な人間ドラマと戦闘場面は、日常の世界を忘れさせます。
  ロレンスに対する評価は、様々です。詩人・哲学者・偉大な戦士など。また、恥知  らず・自己宣伝家などと・・。
  たしかに挫折から自分を普通の人間だと反省するような内面の脆さや自己統制  力の希薄さなどが英雄らしからぬ姿を見せています。
 
* ファイサル王子が最後に言った言葉が、この映画のテーマだと思います。「戦士   の仕事は終わった。取引は老人の仕事だ。戦いの美徳は若者の美徳だ。ロレンスは両刃の剣です。今となっては、両方の厄介者だ
  アラブにとっても政治にとっても汚れた英雄厄介者にされてしまうのです
 
* 1962年度、アカデミー賞の作品・監督・撮影・美術・音楽・編集・作曲各賞を受賞した作品です。
  なお、T.E.ロレンスは実在した人物です。
 GALLERY
  
 アラブ派遣命令が下る          ファイサル王子を訪ねるロレンス  
ファイサル王子に出会う            アカバ港攻略へネフド砂漠を横断 
  アリからアラブ服を貰う            アウダ首長と出会う  
 アカバ港を攻めるアラブ軍           アカバ港の大砲は海を向いている  
 司令部へ占領を報告するロレンス      トルコの鉄道を爆破するアラブ  
自信に満ちたロレンス                 ダマスカスへ進軍           
    
 ダマスカスを攻略             アラブ国民会議を開催  
 ダマスカスの病院で軍医に殴られる       ファイサル王子と対話 
  ダマスカス解放の新聞記事              本国へ帰るロレンス
     
 

スモーク(ウェイン・ワン監督1995年作品)

    「嘘を付いて物を盗んでいいことをしたのか?」
    「君はいいことをした。彼女を幸せにした。素晴らしい話だ。」
        (「スモーク」からオーギーとポールの会話より)
あらすじ
ブルックリンの街角で煙草屋を営むオーギー(ハーヴェイ・カイテル)は、毎日同じ場所、同じ時刻で写真を撮影している。もう4千枚も溜まりアルバムにしている。一枚づつ同じ場所だが、気候、天気、太陽光線、通行人や車両など違いがあって全部が異なっているし、撮ることは一生の仕事だと思っている。

 

 煙草屋の常連客ポール(イリアム・ハート)は、小説家だが数年前に銀行強盗の巻き添えで、妻のエレンを失った。妻は妊娠中だったため、ポールのショックは大きく、その後小説を書く気力が失われ立ち直れなかった。そんなポールが、オーギーのアルバムに亡き妻の写真を見付け、むせび泣いた。

 

 ポールが道を横切ろうとしたときトラックが来てぶつかりそうになり、黒人の少年(ハロルド・ペリノ―)に助けられた。その少年が二晩ほどポールの家に泊まり出て行った。二日後に少年の叔母と名乗る女性が訪ねて来て、自分は育ての親でその少年を探していたがポールは行方を知らない。少年の母親は死に父親は蒸発したのだと言う。

 

 少年はトーマスという。実は蒸発の父親サイラス(フォレスト・ウィトカー)が郊外で給油所をやり始めたことを知っていたので訪ね雇われていた。サイラスはトーマスが息子だとは知らなかった。サイラスは12年前に自動車事故でトーマスの母親を死なせていたのだ。その報いで義手になったと悔いている。今は別の妻とこどもがいる。

 

 オーギーの店に18年前に別れた元婚約者ルビー(スットカード・チャニング)が訪ねて来た。ルビーはオーギーが戦争で死んだと思い別の男と結婚したのだ。ただ、オーギーとの娘を身籠っていた。その娘フェリティが現在18歳で、ドラック中毒になりスラムに住んでいるので金銭的に助けてほしいと懇願したのだ。オーギーはルビーの懇願を断った。しかし、ルビーは無理やりにオーギーをフェリティに会わせたが、追い帰される。

 

 トーマスは給油所からポールの家に移った。17歳になったトーマスは今まで生きられたことを祝いたいというので書店員を誘ってバーに行き3人で祝っているとオーギーが来たので、トーマスを雇ってくれと頼む。帰宅するとトーマスは強盗をした友人が落とした4千ドルを拾って所持していることがバレた。

 

 トーマスは、オーギーの店で働くことになった。オーギーが留守の時、トーマスは水道の栓を閉め忘れ、下にあった商品を台無しにしてしまう。その弁償にトーマスは拾った金をポールの仲介で渡した。オーギーはその金をフェリティの更生資金としてルビーに渡し感謝される。トーマスの強盗の友人がポールに対して脅迫したので、トーマスは警察を呼び、サイラスの給油所に戻ってしまった。脅迫され負傷したポールは、オーギーと共にサイラスの給油所を訪ねる。そしてトーマスに本名を名乗れと促す。トーマスが名乗るとサイラスは、嘘だと怒ってトーマスを殴った。それを止めるポールとオーギーと妻。

 

 ポールはNYタイムズからクリスマスの記事を書いてくれと頼まれた。イデアが欲しいとオーギーに相談すると思い出話をしてくれた。1976年の夏、店番をしていると少年がポルノ雑誌を万引きした。追いかけると財布を落として逃げた。財布には免許証と写真が入っていた。クリスマスの日、オーギーは思い出してその財布を返しにアパートを訪ねる。出て来たのは盲目の老婆で、オーギーを孫と間違えた。オーギーは調子を合わせてアパートに入り一緒にクリスマスを祝った。帰り際、仕舞ってあった新品のカメラを盗んで帰ってしまったのだ。そのカメラが今使っているカメラだと言う。話を聞いたポールは「カメラを盗んだのは許せないが、彼女を幸せにしたのは良い事だ」と述べて、NYタイムズのクリスマス特集にふさわしい物語にしたいとオーギーに感謝した。

 

 感想など
ニューヨークのブルックリンにある煙草屋の店主とその常連客の小説家の交流。小説家と不幸な黒人少年の出会いと交流。店主と別れた前妻や娘との出会いと苦渋。黒人少年の生き別れになっている実父との出会いや悲しみそれらの話が淡々と、挿話形式で次々と展開してゆく。そしてラストの店主の思い出の挿話が語る「嘘も方便」で締めくくる。

 

 とにかく登場人物は、やたらとタバコを吹かしている。タバコが有害だと認識していない時代のせいか、また登場人物に煙草屋がいるためか、タバコはこの映画のこの物語を淡々と穏やかに優しく包み込む小道具としての役割を果たすが、映画を見る者は煙に巻かれてしまう。現代のタバコ弊害社会から見ると「そんなに吸わないでくれよ」と思いながらのなにか気持ちがほんわかとしてくる作品だった。

 

 登場人物は、みんな傷付いた過去を持っている、それらの人達が人と人の交流の中で、見つめ合い、癒し合い、慰め合い、本来の自己を取り戻し、共に生きて行こうと言う姿勢に満ちているのだ。それぞれの会話に含蓄とダジャレでないユーモアがある。また、たとえ話がいくつも出てくる。タバコの煙の重さの量り方。黒人少年を実子だと気づかずに過去を悔い恥じている給油所の店主。スキーヤーが氷づけされた父親の死体を見付けた時の話など。締めは、店主が拾った財布を届けに行って、老婆から孫と間違えられ、調子を合わせてカメラを盗む挿話には考えさせられるものがある。

 

 登場人物は相手に対する穏やかな優しさに溢れている。口では「クズ野郎」「ゲスで愚かでクズ」「嘘だ、からかうな」「クソガキ」「クソ野郎」と相手を貶しながら真逆の気持ちを持って相手を温かく見詰め手を差し伸べて援助しているところが素晴らしいのだ。煙草屋店主の思い出話に小説家が言う「盗んだことは許せないが、彼女を幸せにした。素晴らしい話だ」と肯定する。「秘密を分かち合えないのは友達ではない。それが生きている価値だ」と更に続けて言う。

 

GALLERY
 
煙草屋店主と常連客ポール     タイトル 
 
ポールはトーマスに助けられる       写真に泣くポール 
ポールの亡き妻が映っていたの     ポール宅にトーマスの叔母が探しに来た 
オーギーの前妻がお金の無心         トーマスは実父の給油所で雇ってもらう 
トーマスはポール家にテレビを持ってきた オーギーは娘に追い帰えされる
 
トーマスは友人(泥棒)の金を持っオーギーの店の損害金にその金を充当した 
トーマスはオーギ                   オーギーはルビーに娘の更生のため金を渡す 
サイラスにトーマスは実子であ サイラスもトーマスのことを受け入れる 
ポールはオーギーに小説の 盲目の老婆との出来事に感動するポール 
老婆はオーギーを孫と オーギーは在ったカメラを盗ってしまう
 
 
 
 
 
 
 
 
 

海ほたる

孫が都内品川区にあるコナミ本社で「新体操」千葉地区発表会に出ると言うので見に行った。
孫はまだ初級なのだが、中学生の中上級の人達はさすがな演技を見せていて感動した。
そこへ行くために東京湾アクアラインを通った。
  
途中、海ほたるで休憩した。
天気が良くて久しぶりの遠出でした。
温かくなったら、出歩けるうちに少しでも出かけておこうと考えています。
 
 
 
 
 

0.5ミリ(安藤桃子監督2014年作品)

     「お互いにちょっとだけ目に見えない距離を歩み寄れば

      心で理解できることってあるよね。」(・∀・)

         (「0.5ミリ」から山岸サワの言葉 )

あらすじ

地方都市の介護ヘルパー山岸サワ(安藤サクラ)は、介護派遣会社の独身寮で生活をしている。

寝たきり高齢者片岡昭三(織本順吉)の介護をしていた際、出戻りの娘雪子(木内みどり)から「冥途の土産として、一晩だけ添い寝をしてやってくれないか」と懇願される。昭三は亡き妻を恋しがっているという。現代っ子のサワは、お金目当てでバレたらクビになるので内緒にしてくれと承知した。ところがその晩、昭三は興奮して石油ストーブに触れて火事を起こす。おまけに雪子は自殺して警察沙汰となり、職場と寮を出されてしまう。

 

街をさまよっているとカラオケ店で、泊めてくれと頼んでいる高齢者康夫(井上竜夫)を見付ける。それを見てサワは、康夫を強引にカラオケボックスに連れて行く。戸惑っている康夫に対し、明るく振る舞いはしゃいで見せた。康夫もそのうち喜んで歌を唄いご機嫌になってしまう。疲れた二人はその後、仮眠をとり朝になった。康夫は息子夫婦に反発してプチ家出したのだと言う。別れ際、そっとサワの手にお金を渡し、来ていた外套を着せてくれた。

 

サワは自転車置き場でバンク魔をしている石黒茂(坂田利夫)を見かけたので警察にチクると脅かし、その家に住みつく。石黒は娘夫婦に相手にされず、一人暮らししていた。そんな石黒が自転車ドロの常習犯と分かり、サワは盗んだ自転車をすべて返させる。またお金はあるようで、友人と称する斎藤(ベンガル)の詐欺に遭いそうなのだ。それを知りサワは、斎藤の詐欺行為を暴いて助ける。そんな石黒は、帰るべきところに帰ると言って自分の車をサワに運転させ老人ホームに戻って行き、その車をサワに与えた。

 

車を貰ったサワは百貨店に行く。そこでサワは、エロ本を万引きした高齢教師真壁義男(津川雅彦)にバラされたくなかったら家に連れて行けと脅して住み込む。真壁家には、義男の妻静江(草笛光子)が寝たきりでいて、週何回か浜田(角替和枝)というヘルパーが介護している。サワは義男の教え子で恩返しとして無給で賄いをするという触れ込みにした。静江はサワの扱いが手馴れているので気入ったようだ。義男は若い女性に関心はあるが、教師として気持ちをぐっと抑えている。

 

しばらくして義男も認知症になったようで、サワのことを編集者と勘違いして、自身の戦争体験をくどくどと語る。戦争は馬鹿げている、死んだ人は気の毒だ。生きて帰ったのは申し訳ないとな涙さえ浮かべる。そんなところへ真壁夫妻の姪っ子久子(浅田美代子)が訪ねて来て、これからは自分が二人の面倒を見ると住み込むこととなった。そんな状態になるとサワは、居る必要が無くなったと感じで、真壁家を立ち去ることにした。

 

車で走っていると以前、添い寝を頼まれて火災になった片岡家の息子マコト(土屋希望)が駄菓子屋で無銭飲食しているのを見かける。母親が自殺したため、生まれる前に離婚している父親の佐々木健(柄本明)の家に転がり込んでいたのだ。マコトは口をきかずメモ用紙に筆談でそのことを知らせた。サワはマコトに同行して、住み込んでいいか父親に頼むと家事をやってくれれば泊まっていいと承諾した。

 

マコトは片岡家から大量の自分の本を持ち込んだ。口をきかず、学校には行かず、日中はぶらぶらしているだけのようだ。健は以前、海の家をやっていたが、廃業してしまい今は対岸の造船所で日雇いをしている。家の中はゴミ屋敷のように荒れ果てている。健は酔うとマコトに金を稼げと叱る。そんな諍いの日、マコトは家を飛び出した。それを必死で追うサワ。

 

追いついたとき、サワはマコトが男の子でなく女の子だと気づく。車のトランクに片岡家の紙袋を思い出した。中にはピンクのワンピースが入っていた。そしてトランクには、黒田茂がくれた100万円も入っていた。サワはゴミ屋敷に戻ると健に別れを告げて、着替えたマコトを連れてどこかへ旅立った。

 

感想など

介護ヘルパー会社をクビになり、行くところがないので、押しかけ女房ならぬ押しかけヘルパーになる。さまざまな高齢者と出会い、持ち前の図々しさと明るさで甲斐甲斐しく面倒することを厭わない。扱い方が上手ですぐに高齢者と親しくなれる。そんな出会いと別れをオムニバス的に見せてくれる。高齢者の介護問題を考えるというよりもそれを題材にしたエンターテイメントとして見る作品。

 

のっけからショッキングな展開である。ある意味、介護の領域を逸脱した狂気の沙汰の展開だ。ただ、こんな過激な修羅場場面と安藤サクラの可愛らしさが醸し出す不思議な雰囲気はむしろ可笑しさ漂わせてしまうので面白い。高齢者が「冥途の土産」の添い寝を望んだり、自転車ドロやパンク魔をやったり、エロ本を万引きしたりを多くの高齢者がやるわけでないし、主人公のような押しかけヘルパーが何人もいるとは誰もが信じないだろう。

 

0.5ミリ」とは、戦争体験のある高齢者が主人公にテープで語りかけた中に「人と人の心を動かすのは0.5ミリかもしれないが、その数ミリが集結し同じ方向に動くと革命ははじまる」を聞いて主人公が、マコトという少女(少年)に「お互いにちょっとだけ目に見えない距離を歩み寄れば心で理解できることってあるよね。」と語りかけるところで引用する。

 

トランプ大統領の言う国境の壁は、国を分断して関係を絶とうと言う発想だ。いろいろな壁は無数にある。人種の壁、障碍者の壁、男女の壁、思想・宗教の壁などなど。壁の厚さは様々だろう。作者や監督が言いたいのは、お互いが0.5ミリでも近寄れば、いくらかでも越えられる可能性を持っていると言うことだろう。だから主人公は、助けを求める者に献身的に奉仕しようとしたのかもしれない。ただ、見方を変えれば、0.001

ミリであっても壁は壁で突き破ることは不可能だと言う論法もある。主人公は前者の考え方を貫いているところがポジティブで素晴らしい。(⌒∇⌒)

 GALLREY

 
添い寝の介護を頼まれる       タイトル
 
宿泊場所を探す康夫         サワはカラオケに付き合ってやる 
康夫は喜びお金とコートをくれた     自転車のパンク魔の茂と出会う 
茂が詐欺にかかりかけていた      その詐欺をサワは暴く 
茂は老人ホームに戻り乗用車をサワにくれる       エロ本万引きの真壁と出会う 
近所に万引きをバラすと脅して住み付く 真壁もサワがよく働くのでまんざらでない 
真壁の妻は寝たきり         真壁の姪っ子が介護することになる 
サワは真壁家を立ち去る       添い寝の片岡家の息子マコトに出会う 
マコトは母の離婚した夫の家にいた    父と子は諍いばかりだった 
マコトは男子として育っ        サワはマコトが女の子と知る。茂からのお金を知る 
健の家に戻り、マコトは着替える    サワとマコトは健の家を去る