ギャラさん映画散歩

映画・話題など感想や記録・・・

わたしの渡世日記(高峰秀子著1976年刊)

      「演技に先立つものは、常に真実である

         人の痛さを知る心だろう」

     (エッセイ「わたしの渡世日記」から高峰秀子の言葉)

あらすじ

高峰秀子の実の両親は、平山錦司とイソだが、秀子は錦司の妹平山志げの養子となった。母イソの死後、錦司は秀子の兄3人と弟1人も養子に出し、再婚してしまった。そんな関係で秀子は、父親への愛情や会いたい人という感情は皆無と書いている。また養父の荻野は、ドサ周りの弁士でほとんど留守がちで養母の志げとは夫婦の情感のない暮らしぶりだった。そんな養母の志げは「高峰秀子」という芸名で女弁士として暮らしを支えたという。秀子は養母の芸名をそのまま受け継いだのだった。

 

転機は、家主の友人の紹介で養父母と共に、松竹蒲田撮影所を見学したときだった。偶然、「母」という映画の主役の5歳の少女を募集していた。養父は突然、秀子を応募者の列に並ばせたのだった。監督の野村芳亭が、秀子を見て選考は解散した。採用通知が来て驚いたのは養父母だった。その後は毎日のように、養母と一緒に撮影所通いがはじまった。

 

当時の子役は、女の子も男の子の役をさせられたという。昭和6年蒲田の小学校に入学したが、撮影は昼夜にわたり、10歳まで学校へ行くのは稀だった。そのため成績はアヒルの行列だったという。そんななか、当時の人気歌手東海林太郎夫妻から養女にほしいと懇願され、養母と共に同居したが水は合わず1年半で出ることになる。

 

満足に学校に通ったことのない秀子は、13歳のころ宝塚少女歌劇団に入る決心をした。知り合っていた水谷八重子を通じて小林一三に話しが行き入団が決まった。しかし、当時CMの仕事がかなりあり、写真家との縁から「松竹」「東宝映画」に引き抜かれて宝塚の話はおじゃんになった。秀子の意思よりも母の意思だったため、秀子は、女学校へ通えることを条件にして、承知して御茶ノ水文化学院に入った。そこは制服がなかったが、秀子は紺のセーラー服で通った。東宝での初仕事は「良人の貞操」だった。その後も撮影に忙しく文化学院も出席が足りず、進級できず退学となった。

 

山本嘉次郎監督の「馬」撮影で青年黒澤明と知り合う。その後秀子は黒澤に恋心を感じていて、東京の自宅を母の目を掠めて訪問したが、母が追いかけてきて連れ戻された。黒澤とはその後も撮影所で顔を合わせたがそっけなかった。17歳の秀子は「そっちに気が無ければ」と追う事もなく恋は自然消滅したという。

 

戦後、小津安二郎の「宗方姉妹」に出演して、大仏次郎志賀直哉とも交流した。「細雪」では谷崎潤一郎を知り、安倍能成ドナルド・キーンとも交流した。竹原はん、新島出とも知り合う。また、チャーチル会の創立に関わったとき画家梅原龍三郎とも知り合い、「カルメン故郷に帰る」で浅間山へ行ったとき、同じ浅間山を描いていた梅原氏と出会い、モデルになった。その後、梅原氏には何枚もの絵を描いてもらっていた。その後、成瀬巳喜男監督の「浮雲」「放浪記」などの傑作に出演することとなる。

 

昭和30年3月に秀子は、松山善三と結婚した。きっかけは、「二十四の瞳」で高松に滞在した時、木下恵介監督が「秀ちゃん、ちょっと」と言って「松山君が秀ちゃんと付き合いたいっていうんだ。人間は僕が保証します」と言われた。直ぐに「バカバカしいと思ったら忘れてください。スターの秀ちゃんに助監督と付き合えなんてね」私は、ちっともバカバカしくないと思った。そして翌日「付き合ってみます」とお答えした。そんなエピソードも語られている。

 

感想など

l       高峰秀子さんは大正13年生まれ、平成22年没。5歳で子役として映画デビュー。「二十四の瞳」「浮雲」「喜びも悲しみも幾年月」など、400本以上の映画に出演し、昭和時代の代表的女優さんです。昭和54年現役引退後は、エッセイストとしても活躍し、この本は高峰秀子さんの半生を語っているものです。

 

l       とにかく、ズバズバと赤裸々に自分の心情も、生育歴も、有名人との交流も実名で書かれています。生い立ちは複雑ですが、肉親や兄弟、親戚についての心情は、包み隠さず気持ちのままに書き綴っているので、読む者には生々しく感情を揺さぶります。

 

l       ごく普通の家庭であれば、両親への敬愛や感謝が綴られるはずですが、高峰さんは実の親から見離されたという意識が強い。養母は簡単に養父を捨てた。実の父は再婚して実母の子供達を捨てた。実の父が死んでも情愛はなく、会う気もなかったと言い放つのです。しかし、ラストで「私は、この本で母を繰り返しそしり、恨み憎み続けた。だが、この母がいたからこそ自身が発奮し、生きることへのファイトが沸いた。母の狂気のような眼が光っていたため、汚れもせず清潔な結婚をし、今日の幸せがある」と書いています。

 

l       高峰さんの人間を見る目、心を見抜く目の鋭さには驚く。当時のコメディアンのエノケンが、酒を飲み面白くないと人が変わったように怒った。でも翌朝は下出に謝る姿を何回も見たという。また、古川ロッパが、たった一人でしょっちゅう食事をしていたという。コメディアンほど生真面目で孤独な人は多いという。金語楼植木等渥美清藤山寛美伴淳三郎しかりだという。私も仮面を被った生身の人間だと言い切る。

 

l       肉親の情に薄かった秀子さんだが、子役となったときには、随分と監督や他の俳優から愛されていた。長谷川一夫坂東好太郎。養子にしたいと懇願した東海林太郎夫妻。親代わりになりたいという人は、東宝社長・入江たか子千葉早智子・大川平八郎・岸井明・山本嘉次郎などもいたという。

 

l       高峰さん自身は、自分は学校へ行かずなんの知識も無い人間だと卑下しています。しかし、子役の頃は、台本全てを丸暗記していたという。他人のセリフまで覚えていた。また、身をもって体験した人生の知識は豊富だ。芝居を演ずることによって人間とはなにかを学んだ。そのことは谷崎潤一郎・宮城道雄・川口松太郎新村出等々どんな勝れた文化人と接しても引けを取らない体験に裏打ちされた知性が見えます。

 

l       高峰さんという女優は、実に巧みで優れた女優さんで偉大な存在です。ただ、どこか翳があって、人を寄せつけない雰囲気もあります。やはり、肉親の愛情に満たされていなかった生育歴からでしょうか。この本からもそんな様子が伝わってくるような気もします。なにもかも判っていて、人を寄せつけず、間とって人を見続ける。しかし、そこには悲しみを超越した温かな心が宿っている。そんな感じです。映画「稲妻」のヒロインと高峰さんの生き様が重なり合いました。

 

l       昭和30年に秀子は、松山善三と結婚しました。「利口ぶっても、お里が知れる。明るい笑いのある家庭にしたい」と幸せな夫婦として過ごしていました。彼女はやはり、女優として懸命に生き、学んだ多くの知恵が、夫婦生活で十二分に生かされたものと確信しています。結婚当初に夫から「可哀相に、君は人間として、言葉は悪いが片輪なんだな」と言われた。それは私を正しく理解していた人間がいたとホッとしたと述べています。それを読むと高峰さんの人間性がが、はっきりと分るような気がします。

 

 

 

           

  

           

  

         

   

           

                           

          

 

     



         

東京物語(小津安二郎監督1953年作品)

                   やっぱりあんたは、ええ人じゃ、正直で。
          妙なもんじゃ、自分が育てた子よりも
            他人のあんたが、わしらにようしてくれて、ありがと。
                    (「東京物語」から周吉の言葉)
あらすじ
尾道に住む定年生活の平山周吉(笠智衆)と妻とみ(東山千栄子)は、20年ぶりに息子や娘が暮らしている東京へ上京した。
長男幸一(山村聡)は下町で、医院の医師をしていて、子どもが2人いる。長女志げ(杉村春子)は、金子庫造(中村伸郎)と結婚して、美容院を経営している。
次男昌二は、8年前に戦死したが、昌二の妻紀子(原節子)は、未亡人として都内で一人暮らしをしていた。
三男敬三(大阪志郎)は、大阪に住むサラリーマン。次女京子(香川京子)は周吉夫婦と同居で尾道で暮らしている。
周吉夫婦は、上京後はまず幸一宅に寄る。幸一の妻文子(三宅邦子)や孫達が迎えるが、孫達は久しぶりの祖父母には馴染みがないのかそっけない。
幸一と孫は、周吉達と一緒に東京案内をしようと計画していたが、急患が来て行けなくなってしまう。その後、周吉達は志げ宅に行くが、志げも予定があって、どこへも連れてゆけない状態だった。
そのため、紀子に対して、どこか案内してほしいと依頼する。紀子は快く引き受ける。紀子は翌日に都内を案内してから自宅アパートに周吉達を連れてくる。そのアパートには、亡き昌二の写真が飾ってあった
長女の志げは、幸一と相談して、周吉達を2-3日熱海温泉に行かせることにした。ところがシーズン中の熱海は混雑し、賑やか過ぎて、周吉達は落ち着かず1日で戻ってしまう。
その後は行き場がなくなった周吉は、昔の知人宅を訪ね、とみは紀子宅へ行くことになる。とみは紀子に親切にされ一夜を過ごすが、周吉は知人と飲み酔って、警察に保護され志げ宅に戻される。
翌日、2人は、幸一、志げ、紀子に見送られ、尾道に帰郷するが、帰郷後にとみは、脳溢血で危篤になる。幸一や志げが駆けつけるが、とみは亡くなってしまう。
とみの葬儀が済み、幸一、志げ、敬三はそそくさと帰ってしまう。その後、京子は紀子に向かってこう言う。
「ずいぶん皆勝手ね。言いたいことだけ言ってさっさと帰る。お母さんの形見がほしいとか、親子ってそんなもんじゃない。いやね、世の中ってすると紀子は「子どもって、大きくなるとだんだん親から離れるものよ」と言って別れる。
周吉は紀子に向かって「あの晩が、一番うれしかったと言っていた。やはり、このままではいかんよ。昌二のことは忘れていい、あんたみたいな人ならいい人がみつかる」それに対して紀子は「お父様が言うほど私いい人ではありません。私はずるいんです。いつも昌二さんのことは考えていないんです。忘れる日が多いのです。私はこのままではいられない一日一日と過ぎるのが寂しいのです」と答える。
周吉は「いいんじゃよ。やっぱりあんはええ人じゃ。正直で。妙なもんじゃ、自分が育てたこどもより他人のあんたが、わしらにようしてくれて、ありがと。と言って静かに笑う。
すると紀子は、我慢の緊張がほどけて思いっきり泣き崩れる。
 
感想など 
1 孫たちと祖父母(孫達のそっけなさ)。両親と幸一達それぞれが異なる感じ方でい ることがよく分ります。
 幸一や志げの、両親が東京へ出て来て帰ったことの感想は、「子供達に会えた   し、熱海にも行ったし、当分東京の話で持ちきりだろう」などと述べていました。
 しかし、周吉に言わせると「孫の方が可愛いという人もいるが、わしらは子どもの  方がいい。だが大きくなると変わる。幸一や志げも昔の方が優しかった。だが、い い方じゃ、欲いえば切りがないが、わしら幸せな方じゃ」と不満を述べていました。
 
2 亡くなった息子の嫁の紀子と両親の温かい人間関係には感動しました。8年間ず っと死んだ夫の写真と共に暮らし、義父や義母に対する誠意、義兄、義姉に対す  る誠心誠意の人間関係には心を打たれます。
 最後に義父と交わす、正直な気持ち。それを受け止める義父の言葉の優しさ。そ してその心遣いに思いっきり泣く姿は実に感動的で美しく感じました。
 
3 小津監督自身はこの映画で「親と子の成長を通じて、日本の家族制度がどう崩  壊するかを描きたかった」と述べています。
 「兄弟は他人の始まり」という言葉もあります。まして核家族の時代なので、親子の 繋がりは希薄になりますね。
 
4 映画として感動的でした。ただ、「優しさだけがすべてか」「このままでいいのか。」 「やむを得ないのか。」「どうすればいいのか。」「自分自身で考えてみよう」と言わ  れてもなかなか難しい問題ですね
 家族の別れは、必然的なことでしょう。それを承知のうえで、克服して生きることが 大切なことなんでしょうね。
 
ギャラリー
 
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馴染みのない孫に話しかけても逃げる  亡き次男の嫁が親切に東京案内をするイメージ 3   イメージ 4
   次男の遺影を懐かしむ両親      熱海温泉で景色を眺める
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 次男の嫁の親切を喜ぶ母親       紀子と義父の感動的な会話           
 
 
 

 

秀子の車掌さん(成瀬巳喜男監督1941年作品)

     「しほの山差し出の磯にすむ千鳥君が御代をば
        八千代とぞなく」(古今和歌集より)
     (「秀子の車掌さん」からおこまのガイドによる古歌)
 
あらすじ
甲府あたりの温泉町に近い山間部の街道を走るオンボロバス。車掌のおこま(高峰秀子)17歳。相棒の運転手園田(藤原鎌足)である。バスの収入は芳しくない。それは別会社が参入して新型で早いバスを投入したため客足がそちらに流れたからである。バスは空いているため乗り込む客はたくさんの荷物を持った者や子沢山を連れた人などで料金は少ない。
 
乗客が少ないため給与も減る。おこまは町の雑貨屋の二階で下宿しているが、おばさん(清川玉枝)からは「会社の評判も良くないし、辞めたら」とも言われている。そんな中で、ラジオが東京の観光バスのガイドの様子を放送していたのを聞く。早速、おこまは園田に自分がガイドをしたら乗客が増えるかもしれないと相談する。
 
園田は社長(勝見庸太郎)にそのことを進言する。社長は釣銭を間違えないかとか、名所はあるかなど心配したがやってみろということになった。そこで原稿をつくることにして、町に滞在している小説家井川(夏川大二郎)に頼んだ。井川は快く引き受けてくれる。原稿が出来ておこまは読む。「ちょっとなまりがあったほうがいい」など助言され、場所を後日案内すると別れる。
 
おこまは園田に「社長さんに検閲してもらって」と頼む。社長は原稿に目を通しただけで了承して10円の原稿料を出した。後日バスに同乗した井川は場所々を示した。おこまも園田も調子づいて夢中になる。そんなとき、突然道脇からこどもが飛び出し、バスは畑の中に乗り入れる。井川を降ろしてバスをバックさせたときバスにかすり傷が生じてしまった。
 
慌てた園田は、社長に事故を電話で知らせる。社長は「停めていた事故では保険が出ない。走っていたことにして、エンジンを壊してバスを買え替えられるようにしろ」と命令する。園田とおこまは「そんな偽証はできない」と会社を辞めようと決心する。それを聞いた井川は「社長に話してやる」と一緒に社長に会いに行くことにした。
 
3人は社長のいる事務所に行った。井川は「乗客として事故の一部始終を知っている」と社長に言う。社長は井川が小説家だと聞くと「新聞関係もあるか」と尋ねる。井川が「ある」と答えると態度が急変し「先ほど園田に言ったことは冗談だ」とあっさり取り消してしまい「バスの運転席に花を飾れ」「あんたのケガは」などと低姿勢になる。
 
バスは社長の指示に従い花を飾り、身ぎれいにした。そんな中、おこまのケガも治り、ガイドをする日が来た。最初の乗客は女学生4人でバスの中では合唱をしていてガイドは出来なかった。次の客は目の不自由なひとでガイドは出来ず。次に乗ったのが3人連れの旅行者だった。おこまはようやくガイドを始める。「みなさまこちらの川は笛吹川でございます。上流に見えます小高い丘は差し出の磯と申しまして、しほの山差し出の磯にすむ千鳥君が御代をば八千代とぞなく、と古歌に詠われております。・・・」と調子いい。
 
ところがバス会社では、社長はバスを別会社に売り、明日は事務所を閉鎖する予定で話を進めているのだった。何も知らないおこまと園田は調子よくガイドや運転に従事しているのだった。
 
感想など
田舎のオンボロバスの若い車掌が、競争相手の新しいバスに対抗するため、自ら観光バスガイドを買って出て乗客獲得を目指すのだが、会社は結局バスを売りに出すという無慈悲なお話だ。しかし、長閑でとぼけたユーモアもあり、心和む微笑ましい作品だった。

 

 制作時期は1941年であり、この年に日本は太平洋戦争に突入している。こんな微笑ましい映画の中にも悍ましい時代が暗示されているのが分かるおこまさんや園田を健気な国民の象徴であるとするならば、社長は国家権力に置き換えられよう。権力で偽証させようとしたり、社長である国家は、また意に反してバスを売りとばすということは、善良な庶民を戦争に引き込んだような暴挙だと想像してしまえばいい。
 
成瀬監督36歳、高峰秀子17歳という若さで、戦後の優れた傑作を生んだゴールデンコンビが作った初期の作品である。高峰さんは子役から娘へと脱皮していく過程の頃で、思春期の少女の初々しさと爽やかな笑顔が実にすばらしいのだ。この作品には色恋沙汰は一切ない健気な乙女の心意気が感じられる。
 
車掌の仕事中に実家によってボロ靴を下駄に履き替える長閑さ、バスに乗せた鶏が逃げて追いかけたり、客寄せにバスガイドをやろうと発想の健気さ。旅館に泊まっている小説家がタバコの焦げ跡を畳にいくつも作る場面。社長の横柄で強欲な態度。それと対照的な小説家の気の良さや正義感、おおらかさが面白い。
 
悪辣社長の保険金詐欺の企みは、小説家井川の目撃証言で回避される。そのことでおこまさんや園田のバスガイド計画は軌道に乗るかに見えたのだが、さにあらず、お話は残酷な結末を見るのだった。社長はバスを売りとばし、事務所をたたみ、従業員をクビにすることを決めていたというもの。ただ、そんな残酷な結末であってもおこまさんと園田は、実に楽天的で逞しく優しい。

 

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タイトル           車掌のおこまと運転手の園田はコンビイメージ 3 イメージ 4
仕事の途中実家に立ち寄るおこま ラジオでバスガイドの番組を聞きやってみたくなるイメージ 5 イメージ 6
客を増やすため観光ガイドをやっていいか社長に聞 ガイドの文案を小説家に頼むことにするイメージ 7 イメージ 8
小説家の井川から原稿と助言を得る     社長の承認を得る
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バスは畑に乗り入れ破損する    社長から偽証を強要され井川に相談するイメージ 11 イメージ 12
井川は社長と掛け合う          井川は東京へ帰るので見送る
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おこまのバスに乗る乗客        バス会社を止めバスを売る社長
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乗客にガイドするおこま      バスは売られたのに知らず走る 
 
おまけの画像
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差出の磯                 差出の磯
 
 
     

ノッティングヒルの恋人(ロジャー・ミッシェル監督1999年作品)

       「忘れないで、私も一人の女よ。好きな男に
          愛してほしいと願っているわ。」
      (ノッティングヒルの恋人」からアナ・スコットの言葉 )
あらすじ
ロンドンの一角にあるノッティングヒルという街。そこで旅行書専門店を営むイリアム・タッカー(ヒュー・グランド)は、妻に逃げられてから友人スパイク(リス・エバンス)と同居している。店舗は別にあり徒歩で通勤する。誠実過ぎて商売っ気なしのため経営は赤字続きである。マーティン(ジェームス・ドレイファス)という店員を雇っている。

 

 ある日、米国の名女優のアナ・スコット(ジュリア・ロバーツ)が店に現れた。イリアムが誠実に応対したのでアナは本を買う。その後、ウイリアムがジュースを買いに街に出た際、折しも歩いていたアナと衝突し、アナの衣服を汚してしまう。恐縮したウイリアムは自宅に招き入れ、服の洗濯をする。感謝したアナはウイリアムにキスをして帰った。

 

 後日、アナからウイリアムに電話があったが代理のスパイクが忘れていて数日後知る。慌てて滞在のホテルに電話をしたが、分刻みの予定があるらしく、日時を指定されてホテルに出向く。そこは雑誌記者のインタビュー場所だった。マネージャーが同席したり、離れたりの面会は5分間で、まともな話は出来ない。しかし、最後にその夜予定していた妹ハーニ―の誕生会にアナが来ると約束できた。

 

 誕生会はウイリアムの友人マックス(ティイム・マキナニー)夫妻の家でやるのだ。妹ハーニ―(エマ・チャンバーズ)や友人バーニー(ヒュー・ボネビル)等が集まった。そこへウイリアムとアナがやって来た。ハーニ―はアナを有名女優と知っていて感激する。バーニーも後から分かり驚く。誕生会に来たアナは、妹や友人達と仲良くなり、その後もデートを重ねる。

 

 そんな中、ウイリアムがアナのホテルを訪ねた時、そこにアナの恋人がいて衝撃を受ける。アナもその恋人を邪険に扱えない様子だったため、もう終わりだとそこを立ち去る。アナのところへ恋人が訪ねていたことは新聞に報道されていた。マックスやバーニー達はウイリアムに別の恋人を推薦するがその気になれない。ある日、アナのヌード写真が流出して新聞に書きたてられた。

 

 数日後、突然アナがウイリアムの自宅にやって来て、マスコミから逃れたいので匿ってくれとやって来た。アナの恋人の件も決着しており、お互いが理解し合えて同棲しようとした途端、スパイクの軽口がマスコミに漏れ、ウイリアムの自宅前に記者たちが殺到する。そのため、アナは怒って立ち去り、その後も女優として活躍、オスカーも手にする。

 

 半年間、失意の日々を送るウイリアムにマックスが、アナが英国に撮影に来ていると知らせる。ウイリアムは行く。会えたがアナの言葉を誤解して立ち去る。翌日、ウイリアムの店にアナがシャガールの絵を持参して訪ねた。ウイリアム「僕はノッティングヒルの住人で、君はビバリーヒルズの住人。住む世界が違う。」とアナに言う。アナは「忘れないで、私も一人の女よ。好きな男に愛してほしいと願っているわ。さようなら」と立ち去る。

 

 その話をハーニ―、マックス夫妻、バーニー等に話す。当初はみな頷いていたが、スパイクだけが「お前は大馬鹿だ。」と詰った。それを聞きいたウイリアムは、アナの言葉を噛みしめて大変な勘違いだと思い直す。みんなは慌てて、イリアムをアナに会わせようと車でアナの居るホテルへ直行する。

 

 ホテルではアナの記者会見が始まっていた。記者から「以前、撮られていた男性との関係は?」「友達です」その次の質問は、記者を装ってウイリアムが訊ねる。「彼が反省していたらチャンスはありますか」するとアナは「そうするわ」と答えた。そして「いつまでもロンドンに滞在するわ」と言って一転婚約発表となり、アナはウイリアムとノッティングヒルに住むこととなる。

 

 感想など
アメリカの有名女優が、ロンドンのしがない本屋の店主と偶然出会い、そこから恋愛に発展し結ばれると言うラブストーリーである。登場人物の誠実でありながら、どこか抜けている行動、直ぐにバレる下手な取り繕い、嘘っぽいが本音のような会話のやりとりが面白い。コメディ仕立てで、夢の世界に誘ってくれるような作品。

 

 妻に逃げられたしがない男に、有名女優が惚れるという「蓼食う虫も好き好き」の諺通りの展開である。逃げた妻は、多分誠実過ぎてうだつの上がらない男を見限ったのだろう。一方、女優の方はうだつは上がらなくとも誠実で優しい男に好意を抱いたと思われる。女性達それぞれは目指すものが違うというひとつの表れなのだろうか。

 

 プリティ・ウーマン」という映画で、ジュリア・ロバーツは、娼婦から富豪夫人に出世するシンデレラ嬢を演じていた。こちらは、有名大女優のジュリア・ロバーツがしがない本屋のバツイチと相思相愛になり結ばれると言う、男女が入れ替わったシンデレラマンの物語となった。恋愛結婚というものが、その人の人生にとっていかに意味があるかを示している。

 

 御多分に漏れず、有名人であるアナは、マスコミの注目の的である。大女優の行動は、プライバシーでさえも世間に晒され、いろいろな憶測や誤解や間違った情報も多々ある。世間では、女優は娼婦と紙一重とか好き者などとの噂もある。そんな間違った情報にムキになって抗議する主人公の姿に、誠実さが満ちている。誤解や間違った情報を乗り越えて、その愛が成就することは、実にお正月と共にお目出度いラストはエルヴィス・コステロの歌う「She-忘れじの面影」がバックに流れる。

 

 そして、次は夫婦生活、仕事、子育て、老後へとステージが変わって行く。お目出度さがそのまま続いて行くことを祈りつつ見終わる。

 

 この映画のメイン曲は、エルヴィス・コステロの歌うShe-忘れじの面影
である。元々は1974年にシャンソン歌手、シャルル・アズナブールが発表したものをこの映画はカバーしたものだ。(一節を紹介すると・・・)

  https://youtu.be/LRxVkt9Eg9o (聞けます)

  彼女 ♪~ ハート

 

  忘れることのできないこの面影

 

  きらめく残像 それとも悔恨

 

  僕の宝物 それともつぐない

 

  (中略)

 

       僕の人生は彼女がいるからこそ♪

 

切々と歌うアズナブールもコステロも甘く懐かしい響き。恋愛映画としては「ローマの休日」に次ぐ好きな作品である。

 

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タイトル            ウイリアムがやっている旅行書専門店イメージ 3 イメージ 4
有名女優アナとウイリアムはぶつかり服を汚す 服を洗濯して帰り際にお礼のキスイメージ 5 イメージ 6
同居人のスパイクにアナから電話 アナはウイリアムの妹の誕生会に出たいと言うイメージ 7 イメージ 8
妹ハーニーや友人たちはアナが来て驚 デートでアナの悪口に抗議するウイリアム イメージ 9 イメージ 10
アナのスキャンダルが新聞に載る マスコミから逃れたいと自宅に来るアナイメージ 11 イメージ 12
スパークが口外したためマスコミが押し寄せる アナは怒ってサヨナラするイメージ 13 イメージ 14
イリアムにスパークはけしかける 友人たちはウイリアムをアナに会いに行かせるイメージ 15 イメージ 16
記者会見場だった     ウイリアムは記者になりすましやり直したいと告げるイメージ 17 イメージ 18
記者会見場で婚約          アナはノッティングヒルで暮らす
 
 
 

サウンド・オブ・ミュージック(ロバート・ワイズ監督作品)

                         信条と希望を忘れずに
                 努力すれば夢はかなう
あらすじ
オーストリアザルツブルグ修道院で、修行中のマリア(ジュリー・アンドリュース)は、周囲から「やんちゃ・妖精・道化者」と言われ、いつも規律違反を繰り返していたがみんなから愛されていた。
そこで院長から「世間の風に触れてきなさい」と7人の子供がいる退役海軍大佐トラップ(クリストファー・ブラマー)宅の家庭教師になるよう指示される。
トラップ大佐は、やもめで亡き妻を忘れようと子供達には厳格な躾をしていた。そのため家庭教師も居つかず12人目とのことだった。
ある日、大佐は婚約者の男爵未亡人(エリノア・パーカー)を自宅に迎えに行くことになった。その留守にマリアは、音楽の楽しさと歌を教える。大佐は未亡人を連れてきて、マリアや子ども達に紹介したが、留守中のことを聞き、マリアに修道院へ帰れと命じたが、未亡人の歓迎会で子ども達が、上手に楽しく歌ったことで、大佐も歌に加わり、マリアに謝罪する。
その後、大佐宅では盛大なパーティが開催される。会場にはオーストリア国旗が掲揚された。そのころオーストリアナチスドイツに占領されており、ナチス派からは反感をもたれていた。
その会場で、たまたまマリアは大佐とダンスを踊った。それを見た未亡人は、あまりにも息が合っていたため嫉妬する。また、マリアも大佐に対し愛を感じ、恐ろしくなり置手紙をして修道院に帰ってしまう。
子ども達は未亡人とはそりが合わず、修道院を訪ねるが会えない。マリアもふさぎ込んでいた。
そんなマリアに院長は「隠れていても解決はしない。自分の道を探すのです」と言いい、マリアも立ち向かうことを決意し、大佐宅へ再び行く。
大佐は「自分を偽っていた」と思い、未亡人は「私にあなたは似合わない」と感じ、未亡人はウイーンへ帰ってしまった。そんな中で、マリアは大佐と結婚をする。
そのころ、ナチスザルツブルグへも進攻していた。そして大佐に対してドイツ海軍から召集令状が来る。愛国心のある大佐はそれを拒否して国外逃亡を決意する。しかし、司令官は強制的に大佐を連れてゆこうと迫った。そのときザルツブルグ音楽祭が開催され、出るつもりのない大佐が逃亡のため出場し、喝采を浴びる。その審査の途中、大佐一家は修道院に逃げ、その後無事にアルプスの山を越えて国外に脱出した。
 
感想など
1 マリアの明るさ、ひたむきな姿勢、人間愛、音楽(歌)への愛情などが、規律や困  難に打ち勝ち家族の絆を強め、運命を変えたのだと思います。
 
2 男爵未亡人もマリアのひたむきさや優しさに感動して、身を引く勇気を与えられた のではないかと思います。
 
3 大佐はナチスの国旗を破き、ベルリンの召集を拒否して国外への逃亡を図ろうと オーストリアへの祖国愛を見せています。
 「エーデルワイス」の歌の歌詞を「わが祖国に永遠の祝福を」と変えて歌い、聴衆  の喝采を浴びたシーンに感激しました。
 
4 オープニングに、あの美しい草原で、マリアが空に両手を挙げて歌う、テーマ曲は 素晴らしい感動を与えます。
 
5 いくつかの感動のシーンを掲げます。
・ 大佐宅を訪問の際、マリアは「自分の服はすべて貧しい人にあげてしまった」と粗末な服を咎められたシーン。
・ 子ども達のいたずら(蛙をポケットに入れられたり、椅子に松毬を置かれる)に悲 鳴を上げたが、そのことを非難せず、温かな歓迎だったと責めなかったシーン。
・ こども達を山へ連れて行き、「ドレミの歌」を一緒に歌うシーン。
・ 未亡人の歓迎で、こども達の歌に突然、大佐が加わり一緒に歌うシーンには、  「あれっ」と感動してしまいました。(大佐も以外と歌好きで上手いのかという感じ)
・ 修道院長の「隠れていては解決しません。自分の道を探すのです。あなたの人生 を托せる夢を見つけなさい」という言葉には感動しました。
・ 音楽祭で大佐が「エーデルワイス」を歌い聴衆が合唱するシーンには感動しま す。
・ ラストで国境を越えようと山越えをする風景の美しさは、目を見張りました。
 
6 この映画の、スケールの大きさ、物語、音楽、歌、踊り、風景などすべてに質の高さを感じました。
 
7 エーデルワイスの歌詞を掲げます。
 お前は朝ごと私に挨拶する
 小さく白く輝いて
 私に会えた喜びを見せる
 雪の花よ咲いておくれ
 咲いて生きよ永遠に
 わが祖国に永遠の祝福を
 
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               エーデルワイス    
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オープニングでテーマ曲を歌う        大佐宅でこども達の紹介
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雷の時、こども達を慰める        草原でのドレミの歌
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未亡人の歓迎で大佐も突然歌う  大佐とマリアのダンスに未亡人は嫉妬するイメージ 11   イメージ 12
 未亡人は大佐から身を引く        大佐とマリアの結婚式
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   音楽祭での大佐一家の合唱     大佐一家の国境越え
 

 

天地明察 (滝田洋二郎監督2012年作品)

                                         「授時暦を切れ!」

              (「天地明察」から関孝和の激励)

あらすじ

江戸幕府四代将軍家綱の頃。将軍家お抱え囲碁四家の一つ安井家二代目棋士安井算哲(岡田准一)は、天文・暦学・和算に秀でていて時の将軍後見役会津藩保科正之(松本幸四郎)江戸屋敷に逗留し日時計や天体観測所を作り、夜空の観察にのめり込んていた。

 

また算哲は、和算にも関心があり金王八幡宮に奉納された「算額」の設問を解くことに熱心だった。将軍の上覧対局の朝も八幡宮で設問を解いていると境内を掃き清めていた女性と出会う。しかし、上覧対局のため慌てて江戸城に出府。城内では安井家と本因坊道策の対局が始まる。いつも勝ち負けの決まった棋譜どおり打つのが建前だったが、その日は真剣勝負を行うことにして先番の算哲は天元に打って周囲や将軍を驚かせたところが対戦中に日食が起ったためすべての儀式は中止になった。

 

その日、算哲は藩主保科正之に呼ばれ、幕府として「北極出地」(各地で北極星の高度から場所の緯度を測る作業)を行うので、一年間やってくれと頼まれる。その帰り八幡宮の設問が一瞥直解した関孝和(市川猿之助)という人物を知り、会いたくて村瀬和算塾を訪ね義益(佐藤隆太)に会う。そこで八幡宮であった女性が妹えん(宮崎あおい)だと知る算哲とえんは互いに惹かれる。

 

北極出地隊は頭取を建部(笹野高史)・副頭取伊藤(岸辺一徳)とし、運搬の馬道具設備一式と総勢十数名。歩数による距離、現地での観測に出立。小田原・熱田・薩摩(頭取が体調を崩す)・銚子・大間と回ったが一年の予定は長引き、一年半の歳月が過ぎた。やっと終わり村瀬塾に寄ると妹のえんは、事情があって嫁いでしまったと義益は残念がる。そんな中、算哲は水戸光圀(中井貴一)から呼ばれさらに保科公から呼ばれ、現在の暦が古く誤差が生じているので正しい暦を作れと命じられる。

 

江戸の会津領には観測所が作られた。そこには過っての師山崎闇斎(白井晃)も加わる。現行の「宣明暦(唐)」「授時暦(元)」「大統暦(明)」の三種類があり、観測所では、冬至夏至秋分・日食・月食・日の出入り・月の観測など徹底的に実態と比較。その中で「授時暦」が合致しており、それを採用すべきと朝廷に具申したが公家衆が却下。そこで三暦勝負に出たが六戦目が不正解。

 

なぜ「授時暦」の日食が不正解だったか関孝和にも分からなかった。関は自分の算術の成果を算哲に渡し、観測で解明しろと促す。算哲はえんにプロポーズして10年かかってもやり通す決意をする。そんな中、算哲は光圀公から世界地図を借り地球儀を作る。そして地球儀を見て居るうちに北京と江戸の時間に気づく。「授時暦」は時間差で日食が当たらなかったものと発見する。

 

そこで算哲は「授時暦」とは違う独自の「暦」を作った。その暦を水戸光圀は「大和暦」と名付けて朝廷へ上奏した。しかし、公家衆が反発し逆に「大統暦」に改暦した。絶望した算哲は光圀に苦言を呈した結果、ラストチャンスとして「大統暦」と「大和暦」の日食の違いで勝負することになる。

 

京都の梅小路に日食観察舞台を設置。その日「大統暦」は日食なし、「大和暦」は日食ありの予想だった。当日の朝は雨。しかし止んで晴れたが曇になる。午の刻直前で算哲は切腹の覚悟をしたが、ついに日が照って、日食が起り昼なのに暗くなって、星も見えるくらいだった。「大和暦」の予想が的中したため朝廷は1684年「大和暦」を「貞亨暦」して新たに採用した。

 

感想など

鎖国江戸前期だからコペルニクスの地動説も地球が丸いことも国民は誰も知らない。日の出や夜空の星が謎を秘めていて、季節が廻り来て、暑かったり、寒かったり。大風が吹き大雨が降る。そんな自然環境は人間がはかり知ることのできない不思議な現象であった。そんな神秘な世界に関心を持ち、天体の謎に挑み、観測しその結果から新しい暦を作った人がいた。それが一介の碁打ちで30石12人扶持の安井算哲であり、暦の作成により、名を「渋川春海」に改め幕府初代天文方になり、250石取りの幕臣になった。

 

江戸幕府の一介の囲碁打ちが、和算・天文の知識を買われ、改暦の責任者に将軍後見役藩主から命ぜられる。既存の暦と実態を徹底的に検証して、元の「授時暦」がよいと諮問する。しかし、暦に日食がなかったため却下。それに発奮して10年後、原因を突き止め新暦を作成。それが1684年採用ざれ「貞亨暦」と名づけられた。

 

当時、清和天皇(862年)のとき唐の時代の「宣明暦」が採用されていた。一太陽年を365.2446日としていたから実際は365.2425日だから800年以上経過しいれば二日の誤差が生じる。算哲の作った「貞亨暦」は、365.2417日としている。誤差が生じれば、実際の日食や月食の予測は全然当たらない。また、当時日食や月食は為政者の不徳によっておこるものと思われていたから暦に対しても迷信的な要素が強かったようだ。

 

江戸の碁打ちが将軍前で上覧対局するシーンがある。本因坊道策と安井算哲の対局だ。将軍から5mくらい離れていたので見ずらい。先手算哲は天元に打った。実際の棋譜は残っているので、滝田監督のご愛敬で場面を作ったのだろうが、次の道策の白は隣に付けた。中央で「五目並べ」もどきの接近戦である棋譜では、次の一手が右隅目外しに打っている。その日、日食があってその対戦は中止になった。将軍は面白がっていたが、どうも儀式めいていた。信長は本能寺に宿泊の際、和尚と囲碁を打ったという。家康も囲碁好きで、本因坊に五子置いて打ったというから天下人は囲碁フアンだった。

       道策と算哲の棋譜

追記・・安井算知役で、きたろうさんが出ていました。彼はNHK囲碁番組で生徒で出ていたはずです。上覧対局で棋譜と違う打ち方をしていたのに異議を言わなかったのが不思議です。ガーン

 

岡田准一演じる「安井算哲」は、純真で素直で清々しさがある。おっちょこちょいの部分も楽しい。囲碁にも算術にも暦にもただひたすらにのめり込み夢中になって悔やまない。こんな人柄だから会津藩主や水戸光圀に可愛がられ、公家の土御門泰福や北極出地隊頭取にも愛されていた。また、村瀬義益兄妹にも好感をもたれ、妹を妻にすることができた。そんな人徳が改暦という大事業を成功に導いたのだろう関孝和も改暦に関心を持ちライバルとして研究していたようだが、人脈の広い算哲に敵わなかったようだ。

 

宮崎あおいの演じる妻「えん」は笑顔の演技が中心。算哲の帰りを1年待ったが待てず他家に嫁いだ。しかし、直ぐ離縁されて兄の実家に戻る。また「三暦勝負」で3年待って、今度は添い遂げる。算哲は「俺より先に死ぬな」と頼む。えんも算哲の腹切りが係った時「私より先に死なないで」と算哲に頼む。そんな願いが叶ったのだろうか。算哲は63歳で亡くなったが、えんも同年同日亡くなったという。

 

脇役が凄い。松本幸四郎中井貴一市川猿之助市川染五郎など。他にも岸部一徳笹野高史・染谷將太などなど。史実を想像力で膨らませ面白く仕上げていて大いに楽しい作品である。ドキドキ

 

ギャラリー

 

タイトル                 金王八幡宮での算哲とえんの出会い

 

家綱の上覧碁                えんは村瀬塾の妹だった

 

北極出地隊に加わる算哲         北極出地隊は全国を回る

 

関孝和への設問を作った算哲        保科正之から暦を正せと下命

 

観測所を設置                三つの暦の検証を開始

 

算哲は「授時暦」を推薦            三暦勝負の五戦までは順調

 

観測所が焼き討ちに会う       六戦は敗退 朝廷は「授時暦」を却下した

 

関孝和は「授時暦」を正せと資料を出す   算哲はえんと2人だけ祝言を上げる

 

水戸光圀から世界地図を借り地球儀を作る  再度の上奏に「大統暦」朝廷は採用

 

算哲の「大和暦」と「大統暦」の実地決戦 「大和暦」(貞亨暦) のとおり日食になった

 

蜩ノ記(小泉堯史監督2014年作品)

                            「我が藩の騒動は公儀にも知れた。お家のために其の命と名誉を

             わしに預けてくれ」

                   (羽根藩六代藩主三浦兼道から戸田秋谷への下命)

あらすじ

豊後羽根藩の奥祐筆(書記)の壇野庄三郎(岡田准一)は、お役目中に風で筆の墨がご同役水上信吾(青木崇高)の家紋に飛んだため信吾と言い争いになり、庄三郎の小太刀が信吾を負傷させる事件が起こった。城中での喧嘩は両成敗の切腹だが、中根家老(串田和美)は信吾が甥であり、なかったこととして庄三郎を隠居させ僻村で家譜編纂をしている戸田秋谷(役所広司)一家の監視兼家譜清書の役目を命じた。

 

家譜編集をする秋谷は7年前に江戸詰めの頃、主君の側室と密通した廉で捕らえられ切腹を命じられた。しかし、秋谷は羽根藩の歴史にも通じていたので藩主三浦家の家譜編纂中でもあった。そのため家譜完成の10年後に切腹せよと延期されていた。もし、秋谷が他藩に逃亡の際は、極秘情報を知る一家を切れと庄三郎は言われる。

 

僻村の秋谷一家には、妻織江(原田美枝子)・娘(堀北真希)・長男郁太郎(吉田晴登)がいた。秋谷は家譜編纂と畑仕事や寺子屋で村のこどもに学問を教えていた。ある日庄三郎は寺の慶仙和尚(井川比佐志)から秋谷の事件の顛末を聴かされる。旧藩主の正室お美代の方(川上麻衣子)の子と側室お由の方(寺島しのぶ)の子の世継ぎ争いが下地にあったこと。お由の方と幼馴染であった秋谷は望んで罪を背負い、御家断絶を救ったというのだ。

 

一年後、中根家老から呼ばれた折り、庄三郎は松吟尼となったお由の方に会うことを願い出て面会した。松吟尼は「当夜、居室に刺客が入り、こども鶴千代をを殺した。そこへ秋谷が来て自害しようとしたお由に生きよと力づけた。秋谷には何の落ち度もない。大殿から許されたので秋谷殿も許されていると思っていた」と告げられた。後日、慶仙和尚に元に松吟尼が訪ねてきて、庄三郎に会いたいというので、薫と共に会い、大殿から松吟尼へ渡されたというお美代の方の由緒書を見せ秋谷に渡してほしいと言われる

 

由緒書を見た秋谷は「お美代の方の父親は存在しない旗本の名だ。たた、福岡藩士に縁故者がいる」と首をかしげる。庄三郎は関係改善した信吾に福岡藩士の様子を調べてもらうと羽根藩の御用商人「播磨屋」の先代であることが判明する。由緒書は中根家老が、捏造したでたらめのものだったと分かる。

 

由緒書の存在を知った中根家老は、秋谷に対し渡すよう命令の使者を向かわせたが秋谷は断る。そんな中、「播磨屋」と組み農民に過酷な年貢取り立てようとした郡奉行が農民に川に投げこまれた。実行した農民の息子源太が目付に捕まり、拷問で殺された。源太の友達だった郁太郎は、上役の中根家老に仕返しするというので庄三郎も一緒に行き、家老を追及したので、二人とも牢屋に入れられる。

 

中根家老は、捏造した由緒書を返せば、二人を返し秋谷も無罪にしてやると信吾を使いに出した。それを聞いた秋谷は「中根家老と直談判する」と出かけた。由緒書は慶仙和尚の寺の記録として残し、秋谷は中根に渡した。「偽りのない事実を歴史として残しても御家は守られる。自分は大殿に歴史を鑑とせよとのお約束した。約束通り腹を切ります」と言うと「さて、自分は死人の同然なので」と源吉の仕返しだと中根家老に一発くらわした。そんな家老だが、意外と怒らなかった。「義を見てせざるは勇無きなりか。義とは良民のことか。耐えてもらったことを返す時期だ」と反省しきり。庄三郎と郁太郎は解放されたので秋谷は連れ帰った。

 

10年が経過し、羽根藩主三浦家の家譜は完成した家譜にはお美代の方の由緒書のとおり記載されている。また、お家騒動の部分は不祥事として関係者が処分されたことが記載されていた。庄三郎は戸田薫と祝言を上げる。また、郁太郎は元服して戸田家は羽根藩家臣として復活する。

そしていよいよ秋谷は切腹を行うため家族に見送られ家を立ち去る。

 

感想など

時代劇を見ていると超法規的な処理理不尽な場面が結構あるが別に驚かない。現代のような厳格な管理社会でのコンプライアンスを求めない時代と暗黙の裡に思うからだ。「喧嘩両成敗を見なかったことにする」「家譜作成のため10年間切腹を執行猶予する」など寛大さは当然のように了解しよう。

 

藩主に何人かの側室がいると、側室達はそれぞれ自分の子をお世継ぎにしたいと思う。そんな一方の側室が対抗馬に刺客を向け、若様を殺したとなるとお家騒動として、幕府から改易処分を受けてもやむを得ない話だ。そんなお家騒動を封印するため、若様は病死にし、側室は不義密通として、でっち上げたというもの。それは改易を逃れるための藩主の苦渋の選択であり側用人だった秋谷に犠牲を強いたものだった。

 

戸田秋谷は落ち度がないのに密通したという罪を背負って自己犠牲を甘んじる。藩のためには滅私奉公することが忠義であり、武士の美学だと信じている。忠孝は中国の儒教の思想を源流としている。寺子屋で秋谷は孔子の「論語」講義している。

 

壇野庄三郎は寛大に切腹を免除され、秋谷の元に行き人間性に無関心を持つ。不義密通は羽根藩改易のカモフラージュで、更に現藩主の母親お美代の方の由緒書が家老による捏造であることも露見させたので、秋谷を無罪にさせたかったが羽根藩の安どのため家譜には、それら事実として書けなかった。

 

お大名のお家騒動で改易やお取りつぶしは江戸時代でも300も頻繁に行われた。有名なのは忠臣蔵赤穂藩。越後高田藩松平家などある。事情は、後継ぎ不在が多いが、乱暴狼藉、発狂・乱心、藩内騒動、刃傷、失政・喧嘩など理由はさまざまである。

 

この映画の羽根藩は、お世継ぎ争いを側用人だった戸田秋谷と側室が不祥事を起こした事件として幕府にカモフラージュし改易・お取りつぶしの難を逃れたというものが主軸の話で、更に家老の正室の由緒書の捏造や戸田家見張り役壇野庄三郎と戸田家との交流、娘薫との恋愛結婚、息子の成長と元服などが絡んで広く展開している。

 

江戸時代の忠孝に徹した武士の精神的生き方を描いているし、命令で右往左往する単純な家来達もいて、チャンバラや格闘シーンも何回か見られる。また権力者が歴史に残すため事実を捻じ曲げている場合もあるが、資料さえ残しておけば、後世の人は本当の事実を探りあてられるということも暗示している。現代人の生き方とはかけ離れた内容だが時代劇はこういうものだというエンターテイメントとして楽しめる作品。

 

ギャラリー

  

祐筆の庄三郎は信吾と喧嘩し隠居させられる  タイトル (戸田秋谷の日記帳の題名)  

 

秋谷の家譜編纂の清書と見張りを下命さる   庄三郎は戸田家に住み込む

 

作業を行う二人            秋谷は寺子屋で村の子らに論語を教える

 

家族は藺草でござを作る          松吟尼(お由の方)と庄三郎は面会

 

松吟尼からお美代の方の由緒書をもらう   郁太郎は源太の仕返しに家老に面会

 

庄三郎と郁太郎は牢屋に入れられる      秋谷が家老に会い由緒書を渡す

 

藩主兼道に秋谷は命と名誉を預けた      庄三郎と薫は祝言をあげた

 

郁太郎は元服して家督相続する      秋谷はよき妻と子供に恵まれたと感謝

切腹のため家族との別れ